煙草増税‥しかし、煙草は文化ではなかったのか? | 考える道具を考える

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私は煙草愛好家です。
今は一般的な紙巻煙草を楽しんでいますが、昔はパイプを自分で彫ったり、葉巻などであそんだりもしました。煙草の煙は、自分の内的な時間を表現する貴重な自己認知のための映像的表現だと確信していたりしたのです。

煙草はあくまでも嗜好品。
珈琲を愛飲するように、あるいはお酒を楽しむように‥
だから、その価格が高くなることに対する評価は、
自分で判断すればいい。

経済的理由で煙草を断念する人もいるでしょうし、
心理的理由で他の経費を削減して喫煙を続ける人もいるでしょう。

ところで‥

全国たばこ販売協同組合連合会、全国たばこ耕作組合中央会、日本たばこ産業株式会社が昨年末に締め切ったネット上の煙草増税反対署名の数は、300万3939件だったそうです。これって「3939‥サンキュー、サンキュー」という駄洒落? にも思える数字ですが、2700万人いる煙草愛好家にとっては、頭の痛い増税ではあるのですね。

但し、増税に関して、この喫煙者の「量」で反対するのには違和感も感じます。
大勢の人に影響があるから反対というのは政治的ロジック。

煙草は、本来こうした政治的理由とは無縁のはずだと考えたいですね。

かつて、マッカーサーが日本に降り立った時のパイプ。
これは演出なのだと思いますが、とにかく一つの威厳を示していたのも事実ですね。
あるいは、キューバカストロの葉巻。
大正期の小説家の写真には、必ずペンを持つ手に煙草がありました。

こういうシーンの中にある煙草が、私は好きなんですね。
だから、いわばファッションで自分の個性を表現しようとする人の心理と同じように、煙草を愛用すればいいのだと思うのです。

増税で値段が上がるのに賛成しているのではないのですが、そもそも、煙草の話は、こうした世界とは別のところにいて欲しいと思うのです。

いかがでしょうか?