立川志らく師匠 渾身の談志論「雨ン中の、らくだ」を読んで考えた | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

考える道具を考える-雨ン中のらくだ
山本容子さんが描いた表紙カバーの装画がすごく良い!

立川志らく師匠の「雨ン中の、らくだ」(太田出版 2009年2月初版刊)は、立川流の兄弟子立川談春さんの「赤めだか」を強烈に意識した談志落語論である。赤めだかと本著で、ある意味、天才とも狂気の人とも言われ続けている立川談志論は完成するといえるかもしれませんね。

全18章。談志さんの古典落語に題材をとった師弟関係絵図が展開される。談春さんが「名人宣言」をし、志らくさんが「狂人宣言」をする。この二人の弟子は、落語界の革命児立川談志の二つの側面を受け継ぐ。才能に溢れた現代の落語家といえるでしょうね。

本著の一貫したテーマは、談志師匠から教えられた次の言葉だ。

 ‥落語は、人間の業を肯定する
  落語はイリュージョンだ

古典落語の世界は、江戸から明治、大正辺りまでの市井の人間模様を題材にした物語が多いですね。酔っ払いがいたり、死神がいたり、健気な長屋の女将さんがいたり‥商人や番頭がいたり、与太郎、たいこもち、粗忽者などが、長屋や吉原やで繰り広げる小さな物語だ。

冷静に考えれば、本当に馬鹿馬鹿しいお話しなのだが、そこには理不尽があり、不条理があり、人間の心の叫びがあり、こんなお噺をお手本として落語家は語り続ける、演じ続ける。

そこで語られていることは、人間の業ですね。確かに。そして、その業を肯定するという反社会的視点から人間を見ようとする。だから笑いの中でしか展開できない、苦笑の世界なのだね。(例えば、文七元結という古典。酔っ払いの江戸っ子が本当に宵越しの金を持たないと意地を張って、自分の娘を吉原に売り払ったお金を、身投げしようとしている通りかがりの見ず知らずの手代にくれてやるなんて噺は、不条理そのものだ!でもそこには、人間のもつ意地、業なんかが満載で、感情移入してしまう。)

雨ン中の、らくだを読んでいて、そうした言葉に出会って、益々、志らくファンになったのでした。

現代の師弟物語。
結構、面白いでっせ!