北京五輪 一視聴者としての総括などをしてみると‥ | 考える道具を考える

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一昨日、北京五輪が閉幕した。
ド派手な閉会式も、らしい‥印象だった。

記憶の塔が特に印象的。
いつまでも歴史の記憶の中に刻んでおきたいという想いが感じられた。
しかし、直ぐに忘却の中に置かれてしまうだろう。
(2000年のシドニー五輪のことをどれだけ憶えているだろうか?)


日本は、金メダルを幾つとれるか。
私は10個と予想したが、9個だった。

しかし、金メダルを幾つ取るかに関心がある国民は、
主催者と日本と発展途上国くらいなものだという。
成熟した欧州の国々は、数に価値を見ていない。

実は、メダル獲得に興味を持つことの馬鹿馬鹿しさに、
今回、私は初めて気がついた。

日本の選手を応援するのは当り前。
でも、純粋にスポーツの祭典としての、
超人たちの姿を見ていることの感動のほうが勝っていることに気がついた。
(仙台育英高校時代、超人的な活躍をしたケニアのワンジルさんの優勝は、特に印象的だった)

それが私の個人的な北京五輪に対する感想だった。
だって、全てのメダルに物語があった筈だから‥‥。
4年間という一人のアスリートの内的戦いのドラマは、
それ自体に価値があるように思えるから‥‥。

私は、自分のビジネスの土俵で、
それだけの努力と戦いをしているか?
そう思えたことが、何よりの収穫だったといえるでしょうか?