
ポール・ヴィリリオは、1932年パリに生まれた建築家であると同時に、現代の最先端の思想家でもある。『情報エネルギー化社会―現実空間の解体と速度が作り出す空間』(写真 2002年初版 土屋進訳 新評論刊)は、現代情報論への警告書でもあります。
情報がグローバル化を促進していることは、実感すること多々ありですね。
最近のオイルや食糧の異常な現象を見ていて特にそう思います。一体、エネルギーの価格が、何故急激に上昇するのか? 世界的なインフレを招来するのが目に見えているのに、何処まで続くのか?
単なるマネーゲームの結果だと論断していても、私達の生活に急激な影響を与えてくるこの現象に対処する術が分かりません。これがヴィリリオの言う情報がもたらす現実の解体そのものなんだと思うことがあり、2002年に出版された本著を再び開いてみたのですが‥。
工業化社会から情報化社会への移行とは、空間のグローバル化の促進を光の速度で達成し、人々を現実の世界から仮想現実の世界に巻き込んでいくことなのだと喝破するポール・ヴィリリオの警告。最近の仮想的ゲーム的経済現象を見ていてここなのかなと思ったわけです。
訳者の土屋進さんは、本著についてこんな風に語っています。
‥‥新しい技術は、実際に多くの人々の仕事や生活を極めて短期間のうちに一変させてしまう。旧来の新技術は、特権を持つ人から社会全体へと長い時間をかけて波及していった。しかし情報に関わる新技術は、社会全体を無差別に巻き込み、普通の人々の生活感覚やリズムを一挙に解体してしまう。
今起こっているオイルや食糧の問題は、情報がもたらした問題なのだということか?
情報化の利便性を享受しようとする現代社会の人間は、情報が社会そのものを解体してしまうというメカニズムを直視しなければならないということ。社会が解体されるということは、人間そのもの現実という実感から遠く離れてしまうということでもあるわけか‥。
で、結局、こうした情報がもたらす現実世界の解体から身を守るには、一人ひとりが持つ固有の空間と時間を大切にし、様々な立場から共有する空間と時間を創っていくことだ‥と、本著では指摘しています。
私の解釈では、オイルの問題や食糧の問題によって世界経済が急激な変化を体験している現在こそ、自らの生活や仕事の場面で、自分の世界を構築して外部の情報に流されないことが大切なのではないか‥ということでしょうか?
では、そうすることとは、一体、何をすることなのでしょうか?
自分の身近な生活や環境の中で、自分の固有性を確保することと、どのようにつながっていくのでしょうか? 少し真面目に、しかも早急に考えなければならないのですね?