携帯メールを使うようになって、
私の返信の遅さに、お叱りを頂くことが多くなりました。
私は、自分宛に頂いた手紙やPCメールや携帯メールや何やら‥
返信するまでに「考える」時間を要するタイプなのですが、
どうやら、そういう態度は、少なくとも携帯メールの世界では許されないらしい。
‥‥取り敢えず、クイックリスボンスすること。
これがまずは大事なんだ!
‥‥そうなんですか‥。(若者に教えられます)
そこでまた考えた。一体、いつからこんなにレスポンスが早くなければならなくなったのか?
話は変わって‥
歴史小説やドラマの中で、演出的に効果が高いツールに書簡がありますね。
江戸時代の書簡は飛脚が郵便配達の役割を担っていて、発信から到着までは、遠いところでは、長くて1ヵ月はかかったようです。
その距離は遠く、発信した内容がどのように受け止められてどんなリターンがあるのか、
考える時間はたっぷりありましたね。その時差が様々なドラマを生んでいった。
近代に入ると、
電話が発明されて、直接のコミュニケーションができるようになった。
言葉の発信と着信の時差がなくなりました。
書簡から電話へ。時間的距離は一気に縮まったのでしょう。
固定電話の時代は、それでも、電話ボックスに向かうまでの時間は必要だった。
その短い時間が人の心の葛藤を巻き起こし、ドラマになった。
また、電話のベルが鳴っても、相手が出ないことで、想像の世界は新しい不安を生み出した。
携帯電話が当り前の時代になって、
電話ボックスという社会性のあるシチュエーションは消滅し、
一気に個人対個人の直接対話の時代にコミュニケーションの質が変容した。
相手への配慮も必要なくなった。
そして携帯メール。
直接的なコミュニケーションのツールとしてここまで発達し浸透すると、
自分の話が相手に届かない理由がなくなってしまう。
相手もまた、そう思う。
メールを出したら返信をする。返信をしないということは、即ち「拒否」の意思表示とイコールになってしまう。何らかの集団に属しているならば、関係する集団からのメールには即時対応することが求められる。
‥‥そして不思議なことに、
自分でメールを発信しているのに、
何のリターンもない人に対して、
妙に腹を立てている自分に気づく。
‥‥返信を待つ心の余裕など、どこかに忘れてしまったのだろうか?