わが心の漫画家「永島慎二」 フーテンとニートの違いを考える  | 考える道具を考える

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永島慎二さん漫画家永島慎二さんがお亡くなりになったのは、2005年6月。享年67歳だった。

1970年前後の騒がしい時代に、「漫画家残酷物語」や名作「若者たち」や「フーテン」で当時の若者達を魅了した漫画家永島慎二さんは、その後、様々なもの作りに没頭していく。

その一つが将棋の駒づくりだったということが、「酔棋」という号を持つ編集者増山雅人さんのサイトに掲載されている。写真はこのサイトに掲載されている永島慎二さんの自画像です。

将棋の世界に美学の何がしかを感じた人は、盤や駒の美しさにのめりこんでいく道程を辿る人が多い。私にとっても、将棋そのものが好きだということと、将棋の駒や将棋盤の木の肌触りに強い関心と興味を持つこととは同義語だった。それはさておき‥。

‥‥

漫画家永島慎二さんが、当時の若者たちの生態を描いた若者達は、フーテンと呼ばれた一群の若者達ではありましたが、現代でいうニートとは異なっていますね。

彼らは、既成の価値に対するアンチテーゼとして、既存の価値の象徴である「家」、「大学」、「企業」に対して反旗を翻すという極めて明確な意図を持っていました。同時に、それらの行動は、どこか虚無的であり、悲しげでありました。あるべき世界とあるがままの世界の乖離の中で、永島慎二さんは、苦悶する若者達の感性を漫画の世界に再現してくれたのですね。

但し問題は、多くのこの時代の若者達、すなわち団塊の世代達は、破壊という行為と同時に、心の破壊まで実現してしまい、その先にある創造の喜びを実現しようとはしなかったことです。家族という世界の中にあった人間の温かさを拒絶した団塊の世代は、自分達の二世が、今のニートの世界の中心にいること対しても無関心なのです。


    ‥‥現実を拒絶することは容易い。
      しかし、否定した後に、何を創造していくかがなければ、
      現実からの逃避でしかない。

    ‥‥永島慎二さんのもの作りへの拘りは、
      逃避した先にある創造の世界にこそ、
      本物の「美」があることを体現してくれていたのだと思う。


だからでしょうか? こういう鬱陶しい気候の季節になると、いつも永島慎二さんが描いた「若者たち」の世界に戻りたくなるのですね。私もまた団塊の世代の末端に位置し、壊してきた価値観の後の新しい価値の創造にどこまで必死になっているのか‥‥心の中の虚しさを放置してきた世代の責任を改めて感じるからでしょうか?