旅の効用 つげ義春さんの世界と同化する | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

つげ義春2
旅は日常から非日常への心の移動。

此処ではない何処か‥その何処かにいる自分との出会いのために、ふらりと電車に乗り、そしてどこか遠い田舎に辿り着く。


私の旅‥‥のイメージには、いつも「つげ義春」がいる。

遠くに海の香りのする日本の田舎の、うらびれた村の小道に、
影のような表情のない自分の姿を映して、
「つげ義春」は、いつもいる。
猫背の後姿のまま‥いる。


‥‥

漫画家つげ義春さんの「ねじ式」に出逢ったのは、
まだ10代の頃だったでしょうか?

その超現実的な世界に引き込まれた時、
「ガロ」世代の私は、新しい表現の可能性に驚いたのでした。

    ‥この存在感は何?

当然、つげ義春の虜になった私は、他の作品を漁るように探検した。
しかし、そこにあったのは、ほとんど世間から隔絶された作者を彷彿とさせる主人公の、
物悲しくも虚無の世界を漂うような作品ばかりでした。

高野慎三さんの「つげ義春を旅する」は、
こうしたつげさんの旅を旅して、その心の在り処を探す思い白い作品ですね。

    ‥この暗さ、この実存感覚は、どこからくるのか‥。

そして、私が旅をする時‥‥やはり、いつも、つげ義春さんの漫画の世界が存在していて、私が旅で見つめる風景とオーバーラップされ視界を覆っていくのですね。漫画に覆われた自然の風景との出会い。


ようやく旅から帰って‥あぁ、今回の旅も、つげさんの視線で自然を見てきたのだったな‥‥とため息をついたのでした。今度の旅で、どんな自分を見てきたのだろうか?