時々、玄侑宗久禅師のサイトを訪ねると、
新鮮な驚きに出会う。
5月はじめに、単行本として発行されていた
「脳のちから 禅のこころ ~坐禅とセロトニンの科学~」(大和書房/だいわ文庫 2008年5月15日刊)が文庫版になって発刊された。
この著書は、玄侑禅師と有田秀穂東邦大学医学部教授との対談を掲載したもので、「宗教家が脳科学について、生理学者が坐禅について、互いに疑問をぶつけあい、それぞれの立場から脳と心と体をよりよくする方法、鍛える方法について語り合う」(前文)という、大げさに言えば、科学と宗教との対極の対論といえますね。
とても面白い。
紹介の文のなかには、こんな対比が書かれている。
‥‥脳内物質の代表、快楽の「ドーパミン」、ストレスの「ノルアドレナリン」、
それらを管理する「セロトニン」。そのセロトニンを活性化させるには、
言語脳を休ませその行動に集中することが大切。
‥‥お経を唱えたり、坐禅を組んで瞑想したり、あるいは集中して呼吸したり、
考え事をせずに歩く、走るなど、日常生活のなかにもセロトニンを活性化
させる方法がある。
つまり脳を活性化するには、言語脳を使わない時間を持つことが大切で、その一つの方法が、坐禅やスポーツに没頭すること、そういう時間を持つことだと指摘しているのですね。
言葉で考えるのを、時々はやめてみよう。
そしてまた、いつも玄侑禅師のこんな言葉が記憶にとどまっています。
‥‥仏陀の根本教説「三法印」の二つ目の教えが、諸法無我である。
すなわち永遠不変の宇宙は存在しない。
永遠不変の「我」も存在しない。
一切がその関係性と変化の中にある‥‥(マンガ仏教入門から)
私もまた常に変化する。変化することに不安を持つのではなく、変化を受け入れる。
他者もまた変化する。関係も変化する。変化することを受け入れれば、人との関係は、いつも新鮮だ。
こんなことを考えています。
‥‥さて、今日は、どんな変化に遭遇するのかな?