生活の「句読点」 司馬遼太郎さんの日本語を楽しむ | 考える道具を考える

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幕末


来年のNHK大河ドラマは、司馬遼太郎さん原作の「坂の上の雲」ですね。
それはそれとして、最近は、司馬遼太郎さんの「歴史観と日本語」にあらためて魅入っています。


司馬遼太郎さん。

独特の司馬史観と呼ばれる歴史観を基礎に、
実に多くの歴史小説や日本語研究書を残した作家。

   1980年代に既に、
   ‥‥軟体動物みたいな、ビールの泡のような日本語がはびこる
   ことに憂いを示したかと思うと、
   ‥‥人を言いくるめたり、口喧嘩に勝つための屁理屈の達者をよしとする風潮
   を嫌っていたという。これはディベートに対する嫌悪感なのでしょうね。

これらは、司馬さん没後10年を記念して出版された「司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質」にある内容です。

特に私が関心を持ったのは、大岡信さんとの対談ですね。
室町時代を日本の大衆文化の発祥の時代と捉えている司馬さんは、「歌謡」の世界が生まれた背景やその意味を読み解いていきます。そして「一芸で身を立てる」ことができた最初の時代として、室町こそ日本の大衆文化の原点だと指摘しています。

身分の差異なく、誰でもが一芸を持って世に登場することができるようになった最初の時代。
日本の今は、こうした室町の歴史を持つことができた幸運の結果だと言っているのですね。

‥‥‥

ところで、司馬さんの代表作「竜馬がいく」‥‥とほぼ同時に書き進められた「幕末」という作品(写真)に強く引かれています。これは、数多くある司馬さんの有名な作品集とは趣を異にする一冊で、幕末の暗殺者を描いた12の短編が収められた小品です。私はこの一冊に、歴史を見る司馬史観の源を見る思いがするのですね。

作家は「暗殺だけはきらいだ」とあとがきに書いているように、暗殺者を美化しているわけでも、その存在を肯定しているわけでもなく、基本的には「暗殺」という行為そのものを唾棄すべき行為と明確に表明しているのですが、それでもこの作品を書かなければならなかった歴史小説家としての必然性に関心があるのですね。

暗殺者が暗殺を実行するまでの日常の世界を、周辺の人々との対話の中にさりげなく描いていく。その生活観の描き方と暗殺という行為との落差の中に、司馬さんが描こうとした人間の心理の悲しさを感じずにはいられないのです。

‥‥室町時代に発祥した「一芸に秀でること」で世の脚光を浴びることができるようになった日本の大衆社会の行き着く先が、剣という一芸を得ることで、歴史の表舞台には決して登場することのない負の歴史的事実を生んだのではないか‥‥これはとても悲しいと思うのですね。