対話をしていて「話が上手いな!」と思う人に出会うことがある。
その人は、聴いている相手を引き付け、
決して関心を逸らさない。
話の中身が、びっくりするように凄いものなのか?
その人の体験が、誰にもできないようなものだったのか?
人の心に突き刺さる分析力の持ち主なのか?
うーん、どれも違うな。
話の中身は、ごくごく平凡な世間話に近いものなのだが‥‥
そして気づきます。
あぁ、そうか!
話し方の「間(ま)」の取り方なんだな!
‥‥
メディアが発達し、対話の速度は速く、速くなりましたね。
テレビの番組では、シーンとする時間は一秒でも長く感じられる
という強迫観念がなせる技なのか? 速射砲のように話が続けられていないと
安心できない雰囲気が、そのまま、日常生活の中にまで浸透しているようですね。
絶妙の間(ま)は、
こうした知らず知らずのうちに浸透している
現代コミュニケーションの暗黙の脅迫観念を払拭してくれるように思える。
対話に快感を覚えるのは、
こうした僅かな沈黙の効果なのだと、
話の上手な人との対話から感じたのでした。
‥‥本当は皆んな 話が素敵だなって 思いたいんだよね。