集団への帰属意識 日本人の特性は変わりつつあるのか? | 考える道具を考える

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言語コミュニケーションの研究者
マジョリー・F・ヴァーカスが1987年に著した
「非言語(ノンバーバル)コミュニケーション」(新潮選書)を
読み直している。

人間は様々な方法により、
他者とコミュニケーションをとっている。
言葉によるコミュニケーションが最も有力だが、
本来の交流可能性の領域においては、
非言語コミュニケーションの価値は高いというのですね。


身振り手振り、表情、色彩、距離感、視線、沈黙、無言の触れ合い‥。


こうした非言語領域でのコミュニケーションの影響度は、
確かに言葉より「確か」であり、その思いの伝達効果も高い場合が多いこともありますね。

マジョリーはドイツ系の両親を持ちアメリカで育ったという環境の中で、
この著書を著したときは、非言語の調査領域をアメリカの場合に限定していました。
しかし、この解析は当然日本人にも適用される部分が多く、
あるいは、「阿吽」などという非言語コミュニケーションの伝統的DNAを持つ日本人にこそ、
適用されるものと歓迎されました。

この著書の中では、マジョリー本人の東京や京都での旅館での体験も報告されています。
つまり、長期間滞在していた著者は、その日によって宿泊する部屋が
無断でころころ変わっていくという体験をします。
この中から、日本人の帰属意識について考察していますね。

日本人の集団に対する帰属意識は強く、ファミリーとして認知された場合と、
そうでない場合の「うちモノ」「そとモノ」の違いの特性が根底にあると分析しているのです。
旅館の部屋を勝手に変えるというのは、自分が「うちモノ」として認知された証拠だというわけですね。

個人は集団に従属する。
企業集団に対する帰属意識が高かった1980年代ならではの分析ともいえるでしょう。

‥‥そして現代。個人の自律が重視され、個性の発揮や個としての創造性が問われる中、
この時代に分析された日本人独特の集団主義の概念は、はたして消え去ったのか?
確かに、会社人間などという表現は消えた。どんなに安定した大企業に就職した新入社員でも、
三年で転職を考える時代になった。

とはいえ、集団という幻想の回廊から、本当に脱出しているといえる根拠はあるのだろうか?

自律している人間だと豪語する人は、どこか寂しげでもあるのですね‥‥。