「起業」の落とし穴  相手が見えない悲劇と、自分が見えない喜劇 | 考える道具を考える

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仮面私の周辺には、起業する若者が沢山いる。

彼らは、多くの一般的な(?)若者と比較して、とても情熱的で意欲的だ。

しかし、時々、この若者達は、何をしたくて起業しているのか、あるいは起業することによって引き受けなければならないリスクをどのように捉えているのか、首を傾げるような発言をすることに驚くことがある。

起業すると、まずは自分の周辺のネットワークに資金のことや仕事のこと、人材のことなどについて相談することが多い。

この最初に相談する「人」を、実は最も大切にしなければならない。現時点での、自分のアイデンティティを保証してくれる証となるからだ。
しかし、起業しても、なかなか成果は上がらない。絵に描いた事業プランも、それがどのように社会に受け入れられるか不透明な時期が続く。資金はあっという間に枯渇し、顧客づくりもままならない。こんな時にこそ、最初に相談した「人」の知恵を頼りにすべきなのだが‥。

実際に多くの若者は、この基本的な心構えを忘れてしまうことが多い。

いくつもの壁が、自分に覆いかぶさってくる状況で、冷静に対処することはなかなか難しい。

最初は絶対価値としての応援団も、いつしか使用価値としての応援団にしか見えなくなる。自分のことばかりに夢中になり、相手が見えなくなってしまう。そして、そういうジレンマに陥っている自分の姿が見えないという悲劇的な状況が続く。

昨日、ラーメンの博多一風堂について書いた。創業者は自分の味に「歴史」がないことに気がついていた。そして、「歴史」は自分が作るものではなく、顧客が作るものだということも看破していたように思える。

何を大切にしなければならないか‥自分を見失うことなく、起業を成功させるのは大変困難だ。
だからこそ、自分の「始まり」のシーンに居る「人」を大切にしなければならない。

そうですね‥人が自分を創ってくれるのです。感謝の気持ちは、報酬を求めません。