バルセロナのサッカーの凄さ 意味のないパスは一つもない | 考える道具を考える

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日本の中村俊輔さんが所属するスコットランドのセルティックと
世界一のクラブチーム、スペインのバルセロナの戦いを深夜のTVで観た。

ヨーロッパチャンピョンズリーグの決勝トーナメント一回戦だ。

結果は既に分かっていたが、サッカーというゲームの凄さを、
十分に堪能できた。

私は、サッカーの専門家ではないが、
バルセロナというチームの格の違いが随所に感じられたのだが‥。

それは、パス。
通常、ディフェンスがパス回しをしているのをテレビで見ていると、
MFやフォワードの選手がどのように動いているか分からない。テレビでは分からないのですね。

当然、パスを繋いで、攻撃の戦略を組み立てていくのでしょうが、
日本の試合を見ていると、何となく、ふわふわとパスをしていて、
次の選手の動作をイメージできないのですが、
バルセロナの選手の場合は、バックスでのパスの繋ぎの段階から、
正確で意図したパス回しが、90分間ずっと続けられているのが、
見るからに分かったのでした。

つまり、どのようなパスであっても、一つひとつに意図と意味があり、
パスのスピードと展開と選手の動きの連続性が感じられたのでした。
その動作の一つひとつが、実に美しいと感じたのですね。

90分間という時間に描かれるサッカーコート全体に描かれるキャンバスに
瞬間的に天才画家の筆が走るような感性とでもいえましょうか‥。

バルセロナの選手全員が、世界トップクラスの選手ばかりであるという
技術力に裏付けられていることは確かですね。

しかし、個人の技術とチーム組織との調和がこのように実現した時、
そこに芸術性が創造されるのではないかと、
ついつい思ってしまったのです。

一つひとつの小さなコミュニケーションの積み重ね‥‥
その一つが次ぎに繋がっていくことの連続性‥‥
これは人間が組織として実現するアートなのだと、思った次第です。

うん。次の試合が楽しみです。