二つの詩篇 私自身のための私の詩との決別 | 考える道具を考える

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The instrument which I think

誰にでも忘れられない記憶がある。

記憶は、脳科学から見ると、いつも曖昧なものらしい。

忘れられない記憶とは、
私自身が意識する感性の導きによって、
再生される新しい「事件」なのかもしれない。

‥‥

私がまだ若い頃、
たった二つの詩を書いた。
その詩は、自分の生まれ育ったヨコハマという町と、
そこで植え付けられた自分というものの原型を、
知らず知らずに探し求めていた時代に生まれたものだ。

私とは、何か? どこから来て、どこに行こうとしているのか?
そんな事を、結構、真剣に考えていた時代だったね。



その一つを書き留めておこう。

   「夢の片隅」 

  かれは夢の中で目覚める
  潮騒が遠く微かに耳もとにとどくところ
  広大な芝草が揺らめいてさまよっていく向こう
  異邦のやわわな風に季節を折りたたみ
  規律の詩の靴音の響く街
  ‥‥‥ヨコハマ

  駐留米軍の暗い緑の影が
  ぽつんぽつんと動く午后
  かれは仕切られた張り金の鈍くゆれる角に立ち
  虚空高くうちあげられる空砲の中に
  黄金の瞳をもつ少女をさがす
  おおわれた空の そのさ青の記憶をたぐる
  ‥‥‥ここが かれの故郷

  輪郭だけが残された淡い想いの化石
  ただ一度だけの生粋の泉の奥深く
  かれは静かに横たわる
  ‥‥‥片隅で 夢の夢を視るように


2007年も、残すところ一週間になったね。