感動の足跡 | 考える道具を考える

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The instrument which I think

最近感動することが少ない‥‥

私の友人が時々つぶやく言葉だ。

そんな時、私は必ず聞くことにしている。

「昔は感動することが多かったのかい?」

‥‥

そうですね。感動することが日常的にあるはずはない。
感動は、想定外の場面で味わう「意外性」の賜物。
予定調和の世界で発生するものではないのでしょ?

とはいえ、常日頃「感動したい」と思っているかどうかは
大切なことではありますね。

ジブンの意識の中で、
驚きや感激の感情が薄まっていくのは、
とても寂しいことではあるのです。

シンジラレナーイと叫んだ外国人野球の監督。
ウッソー、ホントー(よっと古い?)があいづちの若い女性たち。
マジッスカ? が合言葉のダブダブのジーンズのお兄ちゃんたち。

現実の衝撃にクッションを与える言葉たちが、
感動の事実性を薄めてもいるのではないかと、
そう思うこともありますね。

「感動した!」と土俵上で叫んだ前の総理は、
現実の勝負の舞台の上で、感動パフォーマンスを繰り広げていましたが、
本当の感動は、叫ぶものではなく、心に含むものだと‥‥
私は思っています。

あなたは、何かに感動していますか?