誤解 | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

 最近、誤解されることが多い。

 タクシーに乗っていたら、大学教授に間違えられた。車中、携帯電話で区役所だよりの記事の内容について、役所に「ケチをつけていたから」だろうと思った。

 電車に乗っていて、小さな子供に席を譲られることが多い。子供から見れば、30才以上は皆、老人に見えるからだろうと思った。

 道を歩いいて、お金を拾うことが多い。誰かが、私を試したいと思っているからだろう。でも、私は拾ったことはない。拾えば交番に届けなければならないからだ。正直ものの私は、何度か交番に届けたが、交番に警察官がいたことはまだない。皆、忙しいのだろう。

 夜中、仕事に疲れた私が、帰り道の暗がりを歩いていたら、前を歩いていた女性がいきなり走り出した。きっと、その女性は、ジョギングする習慣を忘れていて、私を見た瞬間そのことを思い出したのだろう。

 ……

 冷静に考えると、何か釈然としないことが、毎日のように起こっているような気もするが、それはきっと、私の誤解なのだろうと思うようにしている。私は、昔から、誤解されやすい体質なのだ。

 さて、仕事だ。