福井県東尋坊から友人が伝えてくれた「静かな英雄」の存在 | 考える道具を考える

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東尋坊
 友人が初秋の福井県 東尋坊で取材をした。

 東尋坊といえば、日本海を望む奇勝地であると同時に、自殺の名所でもありますね。ここに、茂さんという元警察官がおり、自殺しようとやってくる人々に声を掛けているという姿を映像で追っていたのです。

 テレビ朝日系で夕方放映されているスーパーJチャンネル(?)で、このドキュメントがオンエアされるようです。

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 富士の樹海や東尋坊‥‥人は、死ぬ場所を求めてこうしたポイントにやってくる。死への旅立ちへの道すがら‥彼らが見る景勝地の風景は、「あの世」への入口にしか見えないのでしょうね。

 登場する茂さんという方は、警察官の現役時代、数多くやってくる「自殺志願者達」に、思いとどまるよう説得していたという。しかし、多くの人々は、茂さんの呼びかけに応えず、そのまま断崖から身を投じてしまうことが少なくなかったという。その経験から、現役を退いて以降も、茂さんは夜な夜な東尋坊にやってくる志願者達に声を掛け続けているという。

 「苦しかったんだろう?」 「もう十分苦しんだろう?」

 その届かなかった思いが、一人の元警察官の行動を動機付ける‥‥悲しくも必死の呼びかけが毎夜続くという。しかし、その呼びかけは、「自然で静かで‥志願者の心の声を引き出すような話し方」なんだそうです。

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 テレビでよく放映される大都会の夜の「夜回り先生」。登校拒否児童を再生させようと奮闘する「住職」。こうした人々の、「動機」は、共通した「負の意識」の連帯感にあるようにも思えました。自分でも、そういようとした‥という共有する体験‥。

 しかし、同じ心の経路を辿ったとしても、再生への呼びかけを生きがいに転化できる人と、そのまま「あの世」に旅立ってしまう人との違いは、どんなところにあるのだろうか?