土屋賢二先生のビミョーに哲学的な笑いの本質を考える | 考える道具を考える

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 御茶ノ水女子大学の哲学教授 土屋賢二先生の「笑い」シリーズの文庫をご紹介をしましたが、何がそんなに「笑えるほど面白いのか?」と友人に問われました。

 その友人は認知心理学を研究しているヤツで、いつも「他人の心」を探って楽しんでいる性格の曲がった男です。

 それで、何が「笑える」かということを、証明するのは、特上の大間マグロの大トロの美味さを言葉で言おうとする以上に難しい‥と答えたのです。

 すると、「笑える文章かどうかは、その人の読み方にかかっているので、笑える笑えると書いている君のほうが笑える。」とか妙なことを言いはじめたのです。

 で、私は、「国立大学の哲学の先生が、こんな事書いていて、その逆説的というか、シニカルというか、そういう知的諧謔に笑えないで、心理学が研究できるのかね?」と、この笑いが知的な分野に属することをやや自慢げに話して、この一文を紹介したのでした。

 土屋先生の最初の著作「われ笑う、ゆえにわれあり」の中に、「人気教授になる方法」という文章があります。ここで、大学教授の中でも人気を得る方法論について、極めて哲学的な考察を展開しているのです。以下の一部を引用するとこうです。

 ‥‥‥‥人気教授になる第一の条件は、外見、風采が立派なことであろう。ほとんどの学生にとっては、学識の中身はどちらでもよいことである。教授と呼ばれているという事実だけで十分である。だから学問に精を出しても効果はない。むしろ外面的なところに磨きをかけるのが簡単であるし、効果的である。‥‥中略‥‥長身で、憂いを秘めた品の良い顔をしていなければならず、声は深く、豊かでなければならない。髪も重要である。‥‥‥‥

 長くなりましたが、この文章を読んで笑えない人は、知的ゲームを楽しむように土屋先生の文章を読んで笑うことはできない、私は「本を読むということは、その内容を読解するのが目的ではなく、知的雰囲気を味わえた満足感を得ることに重点がある」というようなことを言っている土屋先生の逆説が好きなんですと主張したのでした。

 「でもね、」とその友人は言いました。「大学教授が自分の欠点を暗示させながら笑いをとるという方法は、随分古い手法だし、その態度自体に問題があるんしゃないのか?」と言い張るのでした。

 笑いの研究‥‥という本を読んでいて、一度も笑えないという種類の本が多いよな‥‥確かに‥‥と思いながら、そうか、土屋先生は、「逆の逆の逆」を言おうとしているか? とふと妙な納得をした次第です。

 まあ、よく読んでから、続きの議論をしましょう、そういって友人と別れたのですが、土屋ギャグは、彼の何か本質を刺激してしまったのかとも思ったのでした。悔しかったのか? 自分の事を言われているようで‥‥笑