私が高校生の時代には、野球の特待生制度というものがあったかどうか分からない。
しかし、スポーツで優れた人材が、甲子園常連の学校に入学しようとする傾向は既にあった。私も野球少年の一人だったから、そうした特待生的な部員がいる学校と対戦すると、胸が躍ったものでした。
今回の高野連の措置に対しては、誠に前近代的な愚劣な措置としかいえないと、私は憤っております。
アメリカにはスポーツ奨学金制度というものがあって、スポーツで優れた人材は、文句なく特待生となっており、それはむしろ名誉なことなのです。そして、貧困ではあってもスポーツの能力があるということが、家族を経済的に救済する大きなモチベーションとなっており、それは社会システムとして大きな役割を果たしているといえますね。
成功した野球選手やサッカー選手は、当然のように子供たちがスポーツをやる環境の整備に一役買い、また、心の支えとして機能しているわけですね。
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今回の措置で、選手個々に与えたダメージは大きいものの、さらに私が着目したいのは、指導者の動機を大きくマイナスにしてしまったことです。スポーツは優れた選手もさることながら、優れた指導者の存在が欠かせません。指導者の力次第で、青年期のスポーツ能力はいくらでも左右されます。
その意味で、高野連の前近代的な今回の措置は、日本の野球の基盤そのものを著しく弱体化させるものでしかないと、指導者育成の観点からも言えるのです。
憲章というのは、抽象的な表現でしかなく、それは、時代とともに解釈されるものでしょうね。優れた子供たちは、特待生として合格することに名誉を感じていいはずなのに、社会的には犯罪者扱いをするのも、おかしな話です。
本日は、少々、怒っております。