再び小林秀雄の言葉に酔う 様々なる意匠 | 考える道具を考える

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The instrument which I think

 様々なる意匠‥‥この作品は、小林秀雄さんが文壇に登場するきっかけになった記念すべき論文である。批評家27歳の時の作品である。

 様々なる意匠というこのタイトルに出会った時の衝撃は忘れられない。すでに、この言葉自体に、小林秀雄さんのその後の批評活動の全体性が隠されていたと思うようになったのは、それから30年以上たってからだが。

 その中でも、私が最も好きな言葉は、これだ。

 ‥‥言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。‥‥

 ‥‥劣悪を指嗾(しそう)しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾(しそう)しない如何なる劣悪な言葉もない。而も(しかも)、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。‥‥

 言葉なのだ。

 また、こんな言葉もある。

 ‥‥人は便覧(マニュアル)をもって右に曲がれば街へ出ると教えることは出来る。然し、坐った人間を立たせる事は出来ない。人は便覧(マニュアル)によって動きはしない。事件によって動かされるのだ。

 ‥‥強力な観念学は事件である。強力な芸術も亦(また)事件である。‥‥

 小林秀雄さんの批評作品の数々は、こうした「言葉の魔術」に包まれて展開されていく。言葉の人心眩惑の魔術によって書き続けられた批評眼を、私は今の時代の中で、「小林秀雄的視点」で見ようと試みている。これが無謀なことであっても、そうしようとする自分に、いつも新鮮な驚きがあるからだ。