4月12日木曜日の昨日、東京・内幸町にあるイイノホールで、文化塾・フォーラムff(エフツー)主催、中央公論新社後援で開催された 玄侑宗久さんのトークライブを聞いてきました。
会場には中年以上の男女500人以上が来場していて、さすがに人気は高いと思いましたね。
玄侑さんの各種の著作物や対談集などの熱心な読者の一人である私は、玄侑さんの講演を聞くのは初めてでした。著作物での饒舌な文章、哲学的な考察の深さなどから、当然、講演にも大変大きな期待をもって参加したのでした。
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玄侑さんは、童謡「結んで開いて‥」を語りながら、結ぶ‥生まれる、開く‥逝去する‥までの一連の時間の流れの中に、人間の様々な煩悩があるということを語ってくれました。
人間は混沌の中から創られ、そして「結ぶ」(原初は神と結ぶ)ことによって私を認識し、私を知る=結ぶことによって、全体性の中から隔絶され、個としての孤独の中に陥り、それを開く=解く(ほどく)ことによって、全体性の中に戻り、そして再び結び、解き、結び、解き‥‥童謡の世界は、これを語っているというのですね。
また、結ぶ‥は言葉で結ぶのであって、従って、言葉は穢れを創るものであり、結んだらほどくことをするために、般若心経をとなえるなどの様々な解く作業をする必要がある‥といったことを語っておられました。
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神と仏。日本人は、この二つの概念を、同時に持つことができた、歴史上まれにみる民族だと思います。
それ自体は、十分に誇り高き民族だと考えていいのではないかと‥まあ、これは少し短絡的ではありますが‥。そんなことを感じながら、ファンの一人として、お話しを伺いました。
玄侑さんは、私が勝手に創造していたより饒舌ではありませんでしたが、言葉の一つひとつに重みがあって、ちょっとひょうきんではありましたが、味わい深い語りでもありました。
そして、最も印象に残ったことは、暗記をすること。新しい知識を諳んじてしまうことの重要性と、そのことの脳の働きについても触れていました。考えるのではなく、暗記する。その時間は、脳は全開して活性化し、そして考えない重要な時間をつくってくれるということでした。
これが開く‥解くということの体験なのでしょう‥と思ったのでした。
だから、このブログを書くときは、何も考えないで書くことが大事だと‥ははは、そう思ったら、何だかすっきりしましたね‥。感謝。
ありがとうございました。