ビアズリーとオスカーワイルド | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

ビアズリー
 19世紀末の芸術に強い関心を持っていた20歳のころの私は、ビアズリーのこの有名なサロメの挿絵が最も好きな作品でした。

 堪能的で退廃的。腺病質的なペン画の精細な筆致は、まさに「世紀末」という言葉に相応しい世界を見せてくれたのですね。

 わずか25歳で夭折したビアズリーの作品は、いわば時代の変転に揺れ動く19世紀の末期においては、それまでの価値観を揺るがす凶器であり、狂気であったといわけても不思議はなかったのでしょうね。

 そして、この挿絵から到達したオスカー・ワイルドという作家は、さらに世紀末的な作品を残し、男色の罪で牢獄生活を送る中で破産するという、これまた世紀末的な人物でした。

 幸福な王子という童話と、サロメがどのような心的な連続性を持っているのか、そういう関心があったのも確かですが、人間が持つ「残酷性」というキーワードと出会って、童話とサロメに通底する共通する意味を知ったのでした。

 ‥‥

 そして現在。ある雨の降る日の午後。東京の下町を歩いていたら、ディスカウントの絵画屋さんの店頭で、このサロメの絵が何気なく置かれているのに出会ったのです。

 既に21世紀に入ったこの日本の、下町の店舗のスミに、何故、サロメが置かれているのか‥‥。

 私の心の中に存在している華麗なる世紀末が、終わったと思いました。