清岡卓行さんの遺稿集をやっと手に入れました。
思潮社から出版された最後の詩集は、「ひさしぶりのバッハ」。
そして、評論、批評集は「断片と線」。
二つの作品とも、人間の老いを迎えた詩人の、素直な心情から見える「最後の日常」を見事に描いた作品だ。
清岡さんは、終始一貫して詩人 萩原朔太郎を評価していたのを、この二冊の出版物を読んでいて、あたらめて思い出した。
‥‥
私が朔太郎に出会ったのは、私の学生時代の友人が、前橋の出身だったことがきっかけだった。
故郷というものをもたない私は、その友人が持つ、自分が生まれ育った地域への、かなり強烈な意識にほとんどついていけなかった。少年時代から多感な青年への成長の過程に存在する故郷というものが、意識の中に、拭いきれない切なさを持って、石の塊のように存在していることに驚きを感じていたからだ。
しかし、彼と、地元の敷島公園を散策していたとき、つれていかれた朔太郎の碑を見た時、何故かその心情を理解することができように思えたのでした。
そこには、朔太郎の「帰郷」という詩の書き出しが掘り込まれていたと記憶しているのです。
その詩は、‥
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
というものでした。
‥‥
今でも、私の記憶の中で、この一編の詩が、鮮明に残っています。故郷を捨て、東京での無頼の生活に敗れ果てて、再び故郷にもどる汽車の中から見える風景を描いたこの作品は、ある意味壮絶で、悲しく、私の記憶を刺激してやまないのでした。
清岡さんの故郷は、もしかしたら大連、原口統三との青春の日々などであったのかもしれません。
私の心の故郷にある、山々の風景は、‥‥勿論まだ見えてきません。