昭和46年に新潮文庫から出版された、ノーベル賞作家 川端康成さんの『掌の小説』を再読している。
改めて新潮文庫の、この出版物に対する文章は‥
‥‥唯一の肉親である祖父の火葬を扱った自伝的な『骨拾い』、町へ売られていく娘が母親の情けで恋人のバス運転手と一夜を過す『有難う』など、豊富な詩情と清新でデリケートな感覚、そしてあくまで非情な人生観によって独自な作風を打ち立てた著者の、その詩情のしたたりとも言うべき“掌編小説”122編を収録した。若い日から四十余年にわたって書き続けられた、川端文学の精華である。
とあります。
そうですね。現代でいえば、散文というか、ショートショートというか。正真正銘の短編が100篇以上収録されているのですね。
‥‥
何故、この短編集が好きなのか‥‥それは、日本のある時代の風景と人間模様が、記録されていること。そして、言葉による感性の美学が集約されていることです。日本語の文体というものを、初めて教えられたような印象があるからでしょうね。
川端さんは、名作雪国について、その最晩年に、短編に収斂させる試みを行っています。文章を、ぎりぎりまでに絞り込んだ、言葉の結晶度の高まりに挑戦していたといってもいいかもしれません。
そんな、言葉の芸術家としての試みに、共感し、また、いつも忘れてはならない清新さを感受するのですね。
‥‥特に、好きな言葉は‥
女が恋をすることは、壊れること‥‥
でも、ほとんど20歳代に書いたといわれる掌の小説。人生の半ばを過ぎた自分が、この言葉たちに拘泥するのは、何故なんだろうか?