阻害される暗黙知 | 考える道具を考える

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思い
 三菱総合研究所のサイトに「三菱総研倶楽部」というページがある。

 この中に、今年2月に掲載された野中郁次郎先生の最新のインタビュー記事がある。

 暗黙知と形式知の二つの知の形式がスパイラルすることによって、知識創造の思考のプロセスを検証していく試みは、現代の日本の企業やリーダーにとって、どのような問題を浮上させているか‥そんなインタビューでしたね。

 暗黙知とは、自分の思いなどを示し、アートな部分をもっている。一方、形式知はサイエンスで分析的かつ客観的です‥と紹介しています。

 日本の雇用の制度が、日本人の心の中に暗黙知を蓄積させることができた。しかし、IT社会になり、そのパワーは、合理性や効率性を重視するツールであるため、暗黙知の存在を排除するようになった‥という分析ですね。

 ビジネスリーダーシップの形は、ある意味、「思いの強さ」によってリードされるというのは本質的ですよね。


 人は、どのような言葉によって動機付けられ、行動に走るか?

 これはもう、論理的かつ分析的な発言ではなく、熱き思いであることは確かです。IT化は素晴らしい革命ですが、一方で分析的かつ合理的なITには、暗黙知を創造する「思い」の部分が決定的に欠落する。

 だからか?

 今、美術館は大勢の人であふれ、ミュージカルのチケットはなかなか手に入らない。音楽会もしかり。スポーツ観戦にも夢中で、人々は、「思い」に飢えているのだろうか?

 確かに「一杯飲んでいこうか‥」という掛け声を聞かなくなりましたね‥。

 自分の思いに拘って、暗黙知を豊かにしていくこと‥それが知識創造の源なんでしょうね。

 どうですか?