歌舞劇「田園に死す」で舞う安寿ミラ | 考える道具を考える

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田園
 歌舞劇「田園に死す」を観た。

 寺山修司原作の「血の起源」から発展させた舞台で、恐山をシチュエーションとした少年の「母への想念」と「決別への情動」を描いた作品だ。

 「田園に死す」と題する短歌集は、寺山さんの第三短歌集だ。それが映画になって衝撃を与えたのが1970年代だった。

 今回の歌舞劇は、少年の夢の中に登場する母(安寿ミラさん)が、時として母に、時として巫女にもなって舞うシーンが延々と続く。この母は、映画に登場してくる「ベタな母親」とは明らかに違っていて、美しくスマートで、現実から昇華された母、あるいは女としての偶像に近い姿をしている。

 映画を見ていない人が、この芝居を見ても、もしかしたら分からなかったかもしれない、などと思ったのでした。

 異国から来たサーカスのイメージを京劇の舞踏により表現していた。舞いの中で次々と変化していく仮面の変幻自在が、現代のサーカスの夢を見せてくれた。それ自体は、美しく、中国舞踏のしなやかさを十分に見せてくれていたと思う。

 しかし‥‥しかしながら、これは寺山さんの舞台ではありませんね。寺山さんの題材を、まったく別の表現に置き換えた新しい試みと言ったほうがいいでしょう。

 まあ、これも一つの作品ではあります。