
‥‥若し僕たちが幼い時のままの感受性に加へるに論理的な総合力と分析力とを保続しようとするならば、日課として幾つかの思考の基本型をくりかへせばいいことになる。
‥‥人間はしばしば自らの理解力や知力が齢とともに増進すると信じているようだが、それは明らかに錯覚であると考へられる。
箴言その1の中の「思考の体操の基本的な型について」の文章である。
吉本さんは、精神のすべての操作はそれが保存せられるために、演習せられねばならない‥として、次の三つの型をあげている。
第一型 思考の浸透と拡散とを同時に行使する演習をすること。
‥真の解答ははこの拡散のなかに用意されていることを知らねばならぬ‥
第二型 抽象化されたものをさらに抽象化する演習
第三型 感情を論理化する演習 論理を感情に再現する演習
この第三の型は、すなわち「或るひとつの結果に対する考慮は衰弱の形式であって、十分に充たされた精神は動機のうちに自足している‥‥」
うーむ。やはりなかなか難解だけど、この思考の体操というキーワードは、思索する場合の基本的な思考のトレーニング法として解釈してもいいように思えますね。
ある何かの問題に直面したら、まずはその考え方を拡散させて、抽象化につぐ抽象を繰り返すと、論理を感情に再現することができるというわけだ。
つまりつまり、何か解決が困難な課題に直面したら、いきなり具体的な原因究明などせずに、課題の要因を広いスタンスで捉えて見る。誰がどうしたとか、ここでこうしたからだ、とかの分析の前に、拡散的思考で抽象化してまう。ある種の人間関係に潜む潜在的な要求に起因するとか‥。
そして、「十分に充たされた精神は動機のうちに自足している‥」ということが結論。
それにしてもこの思考の体操の演習‥どうやらシンプルな体操をすればいいということでもなさそうだ。
(写真は初期ノートに挟み込まれていた光文社文庫用しおり‥結構かわゆい)