
アルビン・トフラーといえば「第三の波」。
その後の「パワーシフト」もある程度の衝撃を与えたとはいえ、第三の波ほどの衝撃はなかった。
本著「富の未来」も、基本は第三の波が、どこまで進んでいるかの検証といえば言える、と思う。
基本的な現代の日本の現象を、社会、文化、制度、経済、知識などの総合的な視点から検証しているのが本著の特徴だが、脱工業化社会がもたらす「知」の時代の到来について詳細に、実証的に記述しているといったほうがいいかも知れない。
融合と対立。
なかでも私が興味深かったのは、「かつては正しかった類推」という第22章の部分だ。
‥‥動きの加速によって時代遅れになっていく事実があるだけでなく、考える際に使う主要なツールの一部が役立たなくなる。‥‥
として、その最も代表的な例は「類推」であると断言している部分だ。
‥‥複数の現象の間に類似を見つけ出し、ひとつの現象について得られた結論を他の現象に当て嵌めていく。‥‥しかし、類似が見つかると、類似しなくなる可能性があるとは考えないのが普通だ。‥‥
つまり、変化の速度が遅い時代は、この類推が役に立ったが、速度が速い現代では、過去のこの思考ツールでは間に合わなくなるということが言いたいらしい。
では、変化の速度が速い現代において有効な知のツールとは何か?
残念ながらこの問いには直接的には答えていない。あるいは、本著上下巻全体が答えなのかもしれない。
‥‥大著であるために、全ては語れないが、第三の波で提唱された情報化社会とは、知の体系化を基盤としており、それらは、一定の規則性に基づいて変化しているのではない、ということだけはわかった。
では、不規則に変化する知の流動は、一体どこに向かって走っていこうとしているのか、それは、もう少し考えてみたいとわからないようだ。
うむ。
