――朗読教育のために考えておきたいこと――」という論文を熟読している。
私が小さい頃、朗読の時間というNHKラジオで体験しためくるめく想像力の体験は、私の記憶の中に厳然として着座していると思っている。
朗読という発声による読書体験には、主に文学作品を言葉に出して読むという行為を通じて、読み手と聞き手という関係を、第3の止揚した関係性の中に置き換える力を持っている、と考えている。
ラジオドラマなどで感受することは、その美しい喋りであり、そのシンプルな効果音から受ける想像性であり、自分の中に湧き上がる感動の体験であり‥。
金井先生の論文の中には、こんな文章がある。
‥‥作品に発声という身体性を関わらせることにより、個の「読み」は第三者に向けて否応なく発信される。こうした「美読」としての朗読は、読み手の「読み」の到達点であると同時に、聞き手にとっては未知の「読み」への出発点になるという構造をもっている。‥‥
そして、坪内逍遥の「読法を起さんとする趣意」から引用しつつ、こうつづけている。、
‥‥逍遙の論から110年を経て、黙読という習慣が読書行為として徹底化したいま、朗読は、個の「読み」の開示(作品解釈の提示のみならず、発話についての責任感や美意識を伴なうものとしての)であり、かつそれを聴く者の「読み」を触発するものとしての自律性を確保したと考えるべきであり、さまざまな試みがなされてよい。‥‥
読むことによる言葉の身体性の復元。
今、私達の体は冷えている。日常のコミュニケーションの中で、常に陥穽として存在する「ずれ」の意識は、言葉の身体性によって回復することができるかもしれないと、そんな風に思ったのでした。