また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ
‥‥
これは、詩人 谷川俊太郎さんの詩集「空に小鳥がいなくなった日」(1974年)に収録されている「朝」の冒頭の二つのパラグラフだ。
この静かな景色を眺めているのは、詩人自身だろうが、その場所は、詩人の書斎の窓からの風景? それとも高原の病室の窓から見える風景? あるいは、記憶の中の風景?
それにしても、言葉が、こんなに静かな「時間」を描き出せることに感動するのです。実に何気ない、普通の風景が、何故にこんなに人の心を揺さぶるのか‥。
「日常」という時間を言葉で表現することによって、人の心の底にある虚無感を感じさせてくれる。心地よい虚無なのだが‥。
梅雨のまとまりのない雨の夜中には、こうした「時間の停止」幻想に酔っていたいと思うのだ‥。