化粧をする女たち | 考える道具を考える

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 少し世俗的なことを書いてみます。

 最近の、特に朝の電車の中で、化粧をする女性たちの姿が気になって仕方ありません。
ポス他
 とりわけ、マスカラというのでしょうか? 手鏡に向かって白目をむきながら、睫毛に細工を施す姿は、ほとんど恥ずかしさを超えて、芸当の世界を見ているようです。

 こういうシーンが目立つようになったのは、いつのころからなんでしょうか?

 中には、ファンデーションを念入りに塗っている女性もいます。あんまりまじまじと女性が化粧をする姿を見たことがなかったのですが、こんなに入念に塗りこんでいくものかと、感心しながら眺めています。

 化粧をする行為というのは、いわば、女性の特権で(最近は男性でも化粧はしていますが‥)、ある意味、そこには必ず「鏡」という自分を移すマジックが存在しているのですが、それはあくまでも、自分の家の中の、しかも化粧台を囲む空間で行われるひとつの儀式として認識していたのですね。私の世代は‥。

 しかし、通勤電車という雑多な混沌の空間の中で、ほとんど自分の世界に浸りきって化粧をする女性の心境は理解しがたいものです。そこには、電車の音も、混雑という圧迫する空間感覚も、他者がその姿を見ているという羞恥心もなくした動物としての人間がいるだけだと思うのです。

 知性ということを言いたくはないのですが、通勤電車の中で化粧をする女性に知性は感じられません。

 日本的美意識は、恥の文化だと思っていますので、こういう行為は、裸体を晒すこととほとんど同じ猥褻なものと思ってしまいます。

 でも、そんなに塗って、一体どこに行こうとしているのでしょうか?
 仕上がった表情を誰に見てもらいたいのでしょうか? プロセスの恥ずかしさを無視して、どの舞台に登場しようとしているのでしょうか? 日本の文化の崩壊を観る思いです。