久々に玄侑宗久禅師「禅語遊心」〈筑摩書房〉から、5月の禅語を読んでみた。
夏来り‥扉のタイトル。
5月は、次の二つの言葉があった。
薫風南より来たる
喫茶去
この二つはいずれも深い。禅の言葉だから、その意味を一生懸命考えるのだが、いつも答えは見つからない‥。
しかし、玄侑禅師は、難解な禅の世界をいつも凡人の私に分かりやすく解説してくれる。喫茶去もその1つだ。
喫茶去。意味は、「まあ、お茶でもどうぞ‥」という簡単な言葉。
この言葉はあまりにも簡単で何を言っているか分からなかったのだが、要は、いろいろなしがらみ、悩み、迷いなどを「茶を喫する」というその瞬間に全て払いのけ、「今、この瞬間を大切にしなさい」という意味だと解釈してみた。
玄侑禅師の解釈は、「禅は歴史を無視できないが、修行には関係ない。歴史から独立した今があるあり得ると禅は考える」ということ。
迷ったら、今、に帰りなさい。今をこそ見つめなさい、という意味だと、私は勝手に解釈しているのです。「一杯の茶を喫す」‥「まあ、お茶でもどうぞ‥」 喫茶去‥なかなか深い言葉だなー、などとぼんやり思っています。