仮説と検証 | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

イトーヨーカドーの鈴木敏文さんが著した「統計心理学」には、ビジネスを展開するための基本として「仮説と検証」という言葉が盛んに登場する。

これは何か?

仕事は、創造。即ち、現状を批判的に捉えて、新しいモデルを創っていく思考のプロセスを持つということが大事らしい。問題意識を持つとは、こういうことをいうのでしょうね。

科学的な言い方を借りると、「仮説」とは、「思い込み」というらしい。

再びウィキペディアを開くと、こうある。

‥‥
仮説と検証は、科学の方法。

『《客観世界》に関するモデル』という《思いこみ》(仮説)を、検証するという方法。
‥‥

そして、道具に関する記述では、

‥‥
《道具的な思いこみ》と思考の道具としての《思いこみ》

《思いこみ》は思考の道具である。
《道具的な思いこみ》は道具としての《思いこみ》である。
道具を《求める思いこみ》、道具を作るためのイメージとしての《知った思いこみ》
疑似的な《知った思いこみ》。
‥‥

何だか難しい。

つまり、自分の色々な体験や記憶によって形成された物事の価値判断は、そのほとんどが「思い込み」によって構成されているということ。この「思い込み」という言葉は決して悪い意味で語っているわけではなさそうだ。これが私の解釈の思い込みか?

仮説を検証するということは、思い込みが正しいかどうか、極力客観的に確かめてみようということになる。

次の流行色は「赤」だ! 

これが仮説という思い込み。でも、これは経験的に感じるものでもある。

だから、本当にそうか? と自問するために客観世界のデータを持ち出して検証するという行為が求められるのだろう。

‥あの人は「思い込みが強い」からねという批判的なものの言い方には、仮説があることが悪いのではなく、検証のない主張が多いことを批判している‥‥

と捉えるのが自然なのでしょう。

こう書いてきて、私のブログも、自分の思い込みに凝り固まっていると、ふと気づきました。検証のために、出版物や他人の言葉を引用するけど、それは自分の都合のよいものばかりを並べたてて、正当化しているだけのような気もするのです。

客観的検証のためには、科学的な「道具」が必要なのでしょう。反省します。