寺山修司は何処に行ってしまったのか? | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

人は「時を見る」ことなどできない。見ることができるのは「時計」なのである。
〔仮面画報より〕

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書を捨てよ 町へ出よう!

この言葉から始まった寺山体験。1970年代。「時代の記憶」が寺山の言葉の中に息づいている。寺山から抜けだせないということは、70年代から抜け出せないことと同じ?

まるで故郷を捨て去ろうとする青年のように、言葉から離れようとして、離れようとして、そして、数々の言葉を残して逝ってしまった寺山が、21世紀の今を生きていたら、どんな言葉を紡ぎ出してくれていたのだろう。

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地球の中心には、言葉がつまっている
〔出典不明〕

‥‥‥

結局、時代は「言葉」でしか残せない?
言葉で考え、感じ、夢見ることを、どうして人間だけができるようになってしまったのか? ということを言葉で書いている。

「時計」という機械は、時のフォルムとして、時計の文字盤を通して、人間の時の流れを視覚化し、記憶にとどめようとするのかも知れない。

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時計の針が
前にすすむと「時間」になります
後にすすむと「思い出」になります
〔思いださないで から〕

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私は、今、部屋の時計をぼんやり見るともなく見つめながら、
時計の針を前に進めようか‥後にもどそうか‥と思っている。