遠隔コミュニケーションの可能性 | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

 テレワークの研究誌というブログのテーマを掲げているものの、テレワークについての記述がほとんどないね‥。

 こういうご指摘をいただきました。

 ふむふむ。確かにテレワークという名を借りていても、その実、自分の趣味趣向ばかり書いてるようにも見える。

 テレワークの正しい定義は、「離れた(テレ)」場所で「仕事(ワーク)」すること。電話やネットを活用するのはいうまでもないが、この定義の意味は、ワークスタイルの自由を自らの意志で確立するということ。ちょっと大袈裟だが‥。

 で、そんなんで、コミュニケーションが成り立つのか? とかならず問われる。
 やはりね、たまには赤提灯で一杯やりながら、本音で語る環境にいなければ、人間はコミュニケーションはとれない‥などと。
 テレワークというワークスタイルを選択したら、こういうコミュニケーションの場が一切なくなるかのような見解だ。しかしこういう反論には、サラリーマンの会社という幻想に対する依存症を象徴している心理が隠されている。油断大敵。

 会社という幻想‥マーケティング研究家の油谷遵氏が20年前に語った言葉だが、テレワークは、まず、この共同幻想から脱却することから始めなければならないのは事実らしい。

 そしてテレワークは、生活のスタイルの確立と直接結びついたワークスタイルでもあり、自らの趣味趣向に拘ることで成立するものでもあると思っている。