考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

日々のビジネスを創造的に展開するための「考える道具」について、気が向くままに記述していきます。優れた職人には優れた道具が備わっているように、優れたビジネスには優れた道具が必要‥そんな思いで始めたブログでした。


でも今は、「考える道具」について書くというより、「思考のクセ」を書いているようにも思えます。



Amebaでブログを始めよう!
東北の春は遅い。
ようやく桜が満開だ。


昨年は、桜が哀しげで、
虚空を覆う桜色の空の下で、
一瞬の癒しを求めるのも憚れた‥。

そして一年。

東北の春は、
いつもの年より少し遅れて、
でも忘れずにやってきた。


この一年、
言葉にならない声を聞いてきた。

ただひたすら、
聞いてきた。

まだ、語り掛ける言葉がみつからないから、
聞くことで、失い掛けた言葉を、
拾ってきた。

そろそろ、
語ることが必要な気がする。

北の太平洋の、
静かすぎる、
その波のさざめきに、
私は、再び、語りかけようと 思う。

去年の今頃、
海は、何に怒りをぶつけようとしたのだろう?


1日にして住み慣れた故郷が消えている。

そんなことが起きてしまった自然の驚異。

人間なんて‥‥何てちっぽけなものなんだろう?


だから、日々を大切にしたい。
こんな平凡な言葉が、
どれほどに貴重なものなのか‥

失ってはじめて思う
生の重み。


誰かの声が、
活き活きとしたその笑い声が、
親しみを込めた眼差しが、
‥‥
どんなに素晴らしいものなのか‥。


今はなき友へ、
有難う!

君の分まで、
生き抜いてやるさ!


何だか、全然、更新していないのに、
わざわざ私のブログを訪れていただいている方には、
深く深く感謝申し上げます。


3.11から半年が過ぎ、
心身ともに疲れましたね。


それまではさ、
何も原発の安全神話に、
どっぷりつかっていたわけではない。
原発そのものに、
無関心だっただけ。

この化け物の近隣に住み、仕事をすることは、
原発を考え続けることでもあるなんて、
そんな風に言われたら、
フクシマには住めやしない。

とはいえ、気がついてみれば、
放射線だらけの身のまわり‥。
誰を恨んだって仕方がないのだが‥

何より、見えないものだけに、
今となっては、
どう考えていいのかも分りません。

復旧? それは元の姿に戻すこと。
復興? それは新しい姿を築くこと。

でもさ、情緒ではなくて、
新しい姿って何なのだろう?


誰が、一度壊してくれって、頼んだの?
あなたに!



東日本大震災の情報が薄くなってきた。

原発はまだ収束していない。
ということは、放射能が地球上に流れ出ているということ。
これだけ長い間、放射能や放射性物質が放出され続ける事態は、地球史上初めての経験となる。

軽微な放射線だから安全だという声も薄くなった。

今から、本当の復興支援が始まる。
そういう視点での議論と実行力が求められている。


被災から救命までの72時間が終わり、
まだ一万人近い市民が行方不明である事実に変わりはない。

最低の生活基盤を確保するまでの三週間も終わった。
まだ10万人以上が避難生活を送っている。
避難所だけの話しではない。親戚、兄弟、友人知人を頼っての
避難生活者の数は、膨大だ。

復旧への足がかりの1ヵ月はあっという間に過ぎ去り、
復興への第一歩が見えてこない。
あと一週間で4ヶ月という時間が流れる。

原発だけではない。
青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉。
復興という未来地図の線引きが見えてこない。

希望が持てない。
絶望して、自ら命を絶つ市民が出始めている。


本当の復興は、はじまったばかりだ。
ここからが、本当の勝負だ。
私達日本人が、日本人を支援するために、
さらに多くの支援が必要だ。

まだ何も終わっていない…。



大震災や原発から避難している人々を、
「数」で表現してはいけない。

死者や行方不明者を、
「数」で表現してはいけない。

一人ひとりの思いは、
「数」で拾うことはできない。


大震災で被災した方々に対して、
自分に何ができるか、
真剣に考える人の多いことに、
日本人のアイデンティティの確かさを実感する。

自分は、夜、こんなに静かに眠れる、
そのことに傷つく少年や少女がいることに、
日本の未来を実感する。

世界にほこれる日本人の優しさが、
日本を救うのだ!

‥‥

今、震災から2カ月以上過ぎて、
近隣の人々ではなく、
遠い彼方からの声を聞きたい、
遠いところに住んで、元気でいる人に、
自分の話を聞いて欲しいと思う被災者が多いと聞く。

どこに住んでいるかが問題ではない。
もっと多くの声を掛け、
もっと多くの言葉を聞こう!