5月3日。


大型ピンクの花を1000m以上の岩場崖地に咲かせるアケボノツツジ。

 

↑どちらもバックは石鎚山。
 

今年はどこに行こうかと考えて、四国屈指のアケボノツツジの大群落という、西赤石山へ。

 

鉱山鉄道バリに情報だいぶ乗せですm(*_ _)m

 

5月3日 新居浜市
別子銅山を見下ろしていた
西赤石山

今回は“東洋のマチュピチュ”と称される東平(とうなる)ルートから登ります。

 

日本三大銅山のひとつ別子銅山の、貯鉱庫・選鉱場・索道(ロープウェイ)停車場跡を上から眺め。

 

 

目線を上げたあの場所へ登っていきます。

 

 

登山者用駐車場には40台くらいとまっていて大人気。

跡地めぐりなんてしながらスタートです。

東平採鉱本部跡。

 

 

江戸時代から昭和48年までの280年余。

鉱石を掘り始めた当初、標高1300m超の銅山峰の山にあった拠点は、深く掘り進めるにつれ標高を下げ東平(標高約750m )に本部が置かれたのが大正5年から昭和5年。

その後はもっと標高を下げ、現在のマイントピア別子のある端出場(標高約150m)が中心になっていきました。

 

第三変電所跡。

 

 

学校・病院・劇場・接待所跡…。

5000を超えるとも言われる人々が暮らした東平から、最初は石積みの道を登って行きます。

 

 

向かいから“東洋のマチュピチュ”を眺める。

 

 

息を切らす急な登りの先に、山に敷かれた上部鉄道の一本松停車場跡。

その向こうが索道(ロープウェイ)跡となっていて、かなり広い場所。

 

 

そこからしばらくは上部鉄道の線路跡を。

片側が崖を蒸気機関車がはみ出しそうに走る、記念館で見た当時の写真が頭に浮かびます。

 

 

岩盤を利用して石積みとレンガ積みで組み合わされた橋梁跡。

2箇所ありました。

どちらも架けられている木橋は朽ちて通行出来ないので、沢を歩き渋い風情を嬉しむ。

 

 

こんな歩きがずっと続くと嬉しいけれど…。

 

 

山の標高はまだまだ高い。

再びの急登ゾーンに入っていきます。

 

 

鉱石の一種なのか、登山道の石にはキラキラ光るものが含まれるようになってきました。

 

こちらの登山道にもアケボノツツジがところどころ。

でも、おそらく2日前のけっこうな雨で多くが散って、残るのはミツバツツジがほとんど。

 

 

急登はやがて岩山登りになってきて、怖くて写真撮れず。

行き着いた岩場から見える、あちらは兜岩↓。

岩好きさんたちの立ち寄りスポットですけど、我が家はもちろん回避( ¯ᵕ¯ )

 

 

反対側にそびえるのがいよいよ西赤石山の頂上で、この辺りに来てやっとアケボノツツジのピンクが山肌を彩ります。

 

 

最後もまたまた急。
ハシゴとロープで登る難所は譲り合いながらの大渋滞でした。
 

 

知ってる方には まぁびっくりの3時間半かけて、標高1625m 西赤石山に到着。

しんどかった(^-^;)

銅山らしく赤石山系独特の山名標。

 

 

晴れ予報だったのに楽しみに登ってきた景色は真っ白で何も見えず💔

笹ヶ峰と沓掛山の間に、西黒森、瓶ヶ森、石鎚山が奥へと続く景色が見えたはず…(;;)

 

 

新居浜の街はうっすらと。

 

 

この日初めての目の前に見るアケボノツツジ。

今年もなんとか見ることが出来ました(*^^*)

 

 

世はゴールデンウイーク。

狭い頂上はけっこう渋滞なので、急いでお昼ごはんを食べて下山します。

 

下山の道にもアケボノツツジを見ながら苦手な岩下りがところどころ。

この尾根でも怖い高いとこ恐怖症じゃなければ、1時間は早く下山できたと思われる(^-^;)

 

 

途中に“東山”と“天満山”のピーク。

 

 

その間には登山道の脇に保護されるツガザクラの生息地がありました。

 

 

ここでは1株だけに花を見つけました。

5ミリ程度の薄紅色の釣鐘型。

花はこの地にも咲くアカモノによく似ていますが、葉っぱの形が違います。

 

 

山の中の交差点・銅山越に到着。

石積みの中に無縁仏を供養する峰地蔵。

 

 

そこから咲き始めたツガザクラを探して少し寄り道しました。

 

 

“氷河期の生き残り”とも称されるツガザクラは、国の天然記念物。

寒冷な地を好み本来は東日本などの2500m級に咲く花ですが、環境が適して、南限である四国では銅山峰一帯が唯一の生息地です。

 

 

江戸時代から採掘が始まった別子銅山。

燃料にするため山の木を伐採し、精錬の際に出る亜硫酸ガスが山を破壊。

明治の半ばにはほとんどはげ山となりました。

 

明治27年に銅山支配人となった伊庭貞剛が

“このまま別子の山を荒蕪するにまかしておくことは、

天地の大道に背くのである。

どうかして濫伐のあとを償ひ

別子全山をもとのあをあをとした姿にして

之を大自然にかえさねばならない。”…と

(伝記「幽翁」より)

 

山の中にあった精錬所を無人島に移転し(ここでも公害問題は起こるのですが…)。

長年有毒ガスに晒され壊れてしまった土壌に植物が根を張るのは難しく、数年で枯れてしまうのを繰り返しながらも植林を繰り返し、山は昔の姿を取り戻して行ったのだそうです。

 

西赤石山頂を臨む銅山峰 1330m地点。

 

 

長い時間をかけて自然を再生させた先人たちの思いを受け継いで、地元の高校生達がツガザクラの保護活動をしています。

先日見たBSの番組では、盗掘の跡を心から嘆きながらも遠い登山道を通い。

別子銅山って、自分の地元って凄いんだぞ、と話す姿が印象的でした。

 

山名標はツガザクラ。

 

 

帰り道は馬の背コースへ。

鉄道が出来る前の、牛車道も出来る前、山の中の精錬所から新居浜までは、男の人45kg、女の人30kgの銅を担ぎ、これよりもっと細い険しい道を運んでいたそうです。

 

 

標高1100m地点にある赤い屋根の可愛い山小屋、銅山峰ヒュッテ。現役です。

 

 

明治26年に、採掘した銅鉱石を運ぶ鉱山鉄道が開業。

ここから、登る途中に通った一本松停車場を経る上部鉄道は5.5km。

その後、索道を経由して、下部鉄道に引き継いで瀬戸内海へと運ばれていく。

このヒュッテは、当時の駅舎跡だそうです。

 

 

山の中至る所で、当時の写真や説明書きされた歴史に触れながら…。

帰りに見た滝は石積みの滝。

 

 

明治35年に完成した第三通洞の坑口。

 

 

山の中にはかつての遺構が無数に残っています。

残りのルートも歩いて、もう一度、別子銅山記念館にも行ってみたいなぁと思った1日。

別子銅山って凄いんだなぁ、今までほとんど知らなかったよ(新居浜にも住んでたのに今さら)。