てくてくのダイアリー -3ページ目

(5)他人からどう学ぶか

私の習い方は、師匠の感性をそのまま受け取る。
自分のセンスや経験が貧しいのだから、
師匠の持っている判断基準を真似るしかない。

服飾の専門学校では、そういうやり方で学んだ。

アバンギャルドが好きな講師が担当なら、
私もアバンギャルドなものを描くし、
ヨーガンレールが好きな講師なら、
私もくすんだ中間色を使ってみる。

そうすると、それまで関心のなかったテーストの良さが解ってくる。
こうして師匠の感性や世界観を吸収する。

美術予備校でも、その方法で学んだ。
違うのは、講師が同性でなかったことくらいだ。

他人の感性を学ぶとは、とても危ういことじゃないだろうか。

私は一方的に講師の感覚を探り、受け取り、
吸収しているつもりだった。
それが同年代の異性である相手にどんな印象を与えるか、
考えてもみなかった。


私にとって師匠は、神様だった。
残念ながら、師匠は生身の人間だった。
莫迦な話だ。


師匠たる人間とどのように接したら良いのだろう。
適度な距離がわからなかった。
ただ、やり切れなかった。

だから、5年という時間が必要だった。
今もやり切れないが、描きたい。

(4)決別

とぼけるのは、ある意味、小悪魔なのだそうだ。
結局、やることが逆だったのだろう。

もっと早いうちに、A講師と話し合い、
協力を求めてみるべきだった。

たとえ上手く行かなかったとしても、
私が他の生徒にからかわれる事で、
嫌な思いをしていると知ってもらえた。
少しくらいは配慮もしてくれただろう。

もしそれで信頼関係を築けたら、
お互いに良い影響も与えあえただろう。
付き合うのでなくても。

私は大切な人間関係を、
紙くずのように破り捨てたのかも知れない。

その1年後、別件でこの美術予備校にクレームを出し、
納得できる回答がなかったので、
後期授業料を支払わない旨を通知し、決別した。
(一般科でのことも、学校の体質による面もあっただろう。)

予備校の他の講師や生徒の人達との関係も、
これで完全に失った。


その後知り合った工芸家にこの話をした。

「カルチャー教室の生徒は、殆どがお遊びだから、
いつまでもレベルが低い。
それはそれで良い。
他の人間に何を言われたって、自分のやりたいことを貫けばいい。」

私に必要なのは、この強烈な意思だった。

(3)つまらないこと

他の生徒にしてみれば、
私がA講師の気持ちを理解していない、と映っていたらしい。
解らせてあげなければ、とでも思ったのだろう。
小さな親切大きなお世話だ。

ある日、教室の中で帰り支度をしている時に、
A講師に話しかけた。

「先生の作品展は、おやりにならないんですか。是非見たいですね。」
すると、生徒の一人が言った。
「先生と付き合えばいいのに」
皆が一斉に笑った。

居たたまれなかった。
もう限界だ、と思った。

テキスタイルデザインのデッサン力を付ける目的で通ってみて、
一般科のペースに物足りなさも感じていた。
皆、趣味で来ているので、
馴れ合い的な雰囲気に不服を言う筋合いもない。

それにしても、
あんな行き過ぎた発言を制止することもなく、
黙って背中を向けていたA講師が、不甲斐なかった。

A講師は、やはり優秀で、
この期間に私のデッサンは、成長している。
何より、絵を描く辛さが軽減した。
心から感謝している。

出来ればあと半年通って、
この人から油絵を習っておきたかった。

あんなつまらない事で、
生徒全員の前でさらし者状態にならなければ。


翌月、デザインの指導を受けたい、と理由をつけて
別のクラスに移った。
通い始めて6ヶ月だった。

(2)余計なお世話

一般向けのクラスは火曜と金曜の2回あり、
私は金曜日に通っていた。

通い始めて3ヶ月目のある時、
火曜のクラスの人たちと顔を合わせることがあった。

金曜のA講師と他の生徒も交えてお喋りをしている最中、
その火曜クラスのB講師から、おもむろに言われた。
「A先生と付き合えばいいのに、絵を教えてもらえるよ。」
冗談として受け流した。

しばらくして、そこに同席していた生徒が、
教室の帰り道に同じことを言い始めた。
それが毎週続くようになった。
仕方ないので、毎回受け流した。

A講師は、私より2、3歳若かった。二言目には、
「ボクはアルバイトですから、その範囲のことしか出来ません。」
と言っている、本業、自称画家のアンちゃんだった。

男としては頼りないが、絵に関しては、恐ろしく鋭い。
言葉で表現するのは下手だが、確固たる答えを持っている。
絵の師匠として、敬愛していた。

先生と付き合えば、という話には、
とぼけ倒して通い続けるつもりだった。

教室以外ではA講師と行き遭わないよう、
手洗いに行くのもタイミングを計るようにしたが、
そのうち、教室中に噂が広まってしまった。

(1)先生の実力を見抜けるか

何年も前になるが、
美術予備校の一般教室を見学した時、
体験で描かせてもらった。

担当のA講師が、私の描きかけの画面を見てくれた。
その目に、集中力があった。
これは経験の厚みと、実力のある良い先生だ、ラッキーだと思った。
それで通うことにした。

絵画の講師の実力が、そんなことで見抜けるものなのかどうか。

以前、専門学校でクロッキーやデザイン演習などの授業があり、
3年間で数人の先生に見てもらった。
絵が上手くて無遠慮な友人に見せて、
ずけずけとしたコメントをもらうこともあった。

そうするうち、本当に良し悪しがわかっている人の見方と、
わかっていない人の見方の違いを感じた。


もっと以前、染織工房で働いていた頃には、
数人の先輩たちに教わった。

中に、一見柔和で頼りなさそうな先輩もいた。
ところが織に関しては、
経験に基づいた、確固たる正解を知っている人だった。

仕事をする中で大きな武器となるのは、
正しい答えを持っている人を見つけて、
常にその人から教わることだ。

同じように、画力を付けるには、
正しい目を持つ人に見てもらうのが大切だ。

その考え方で、
絵画教室の講師の能力を見抜くことも可能だと思う。

買ってしまいました中原淳一 1冊

神保町は良いところだ。

画集や図録を多く集めている古書店で
<中原淳一エッセイ画集 しあわせの花束>
を1000円で見つけた。
この前広尾の「それいゆ」で買った絵葉書と
同じ絵柄が載っている。

買っちまいました。
ごめんね、「それいゆ」のオネエサン。


キャラクター性の強い絵柄なので、
以前は好きではなかった。
何年か前に作品展を見に行って、原画を見て惚れた。

美しい線だ。
少女の腕や脚の美しさ。
スカートのたっぷりとしたひだ。

彩色技術の確かさ。
頬の赤み、唇のハイライト。

首に落ちるあごの影、衣服の影、衣服が体に作る影、
それぞれ色が違う。

隙がない、きれいな仕事だった。

少女漫画の源流の一つだと思う。

ある秀才に捧げる1冊


<ハワイ プチ富豪の成功法則/ヒロ・ナカジマ>


私の父は、58歳で亡くなった。
大阪の町工場の経営者だった。

学生時代は秀才で鳴らしていたとかで、
プライドの高い人だった。
酒に強くて、ミナミでしこたま飲んでも大抵は、
帰りに古本屋で何か買ってくる。

司馬遼太郎とか井上靖とか、いろいろ。
いつも枕元に読みかけの本があった。

酔っ払っても理屈っぽくて、
一緒に飲んで楽しいタイプではなかったと思う。
大勢の中にいても、どこか覚めていて、孤独な人だった。


この本は、近頃はやりの、
プチリタイアを切り口にしているが、
実業家の半生記みたいな内容だ。

こんな商売を始めた。こんなやり方で営業した。
こんな人と出会った。こんな痛い目に遭った。
そしてビジネスの裏も表も知った。

そういう内容。
ただ、30代でリタイアしちゃったために
かなり短いというだけで。

しかし、この本を父が読んだら、どう思ったのだろう。

「若さと体力のあるうちにリタイアして人生を楽しもう。
もっともっと、と際限なく上を求めるのでなく、
必要な金額をはじき出して、それを目標に稼ぎ、倹約もし、
目処が立ったら、事業をきちんと整理して、
あとは、時間と場所とお金と行動の自由を謳歌しよう。」

そんな人生を1年でも半年でも味わえたら、
父はもっと安らかな心で逝けただろう。

サラリーマンの何倍も努力し、
重い重いリスクを背負い、
最後まで満たされることが無かった父の枕元に
この本を何気なく置いてみたかった。

おばちゃんのキモチ

少し先に姪の誕生日が控えている。

たまに絵を描いて送ってくれるのだが、
一度、その色使いが洒落ていて驚いたことがある。
フェルトペンで、オレンジと紺と緑だけ。

絵柄は小学校低学年らしく、女の子ばかりなのだが
なんでこの色にしたんだろう。
母親によると、本人が描きたいようにしか描かない、
とのことなので自分で選んだらしい。

おばちゃんはちょっと嬉しい。

プレゼントのおねだりはスケッチブックだ。

会社帰りに神保町の画材屋で、
スケッチブックと小さ目のクロッキー帳を入手。
学生の頃に買った<色えんぴつ初級レッスン>
という本を添えて贈るつもりだ。

楽しいうちに、いろいろやってみてネ。

子供時代にお絵かきが楽しかった、
という記憶がまるでないおばちゃんとしては
羨ましいことです。

スケッチ関連1冊


<絵を描きたいあなたへ/永沢まこと>


この前読んだ

<絵を描く、ちょっと人生を変えてみる>
の前著らしい。



「じつは、誰でもかならず絵がうまくなる方法がひとつだけ、
あることはある~好きな絵描きのそばへ行き、
絵を描くさまを眺めることです~

描くときの集中ぶりや~
失敗したときの対処のしかたも観察できます~
眺めるうちに、画家のエネルギーが伝わってきて、
自分も描きたい、という衝動が湧き起こってきます~云々」

本当にそう。

実力のある人は、エネルギーを発散していると思う。
以前、教室で一緒に描いていた生徒さんにそういう話をしても、
同意してくれる人はあまりいなかったけれど。

他人の精神的な集中とかエネルギーって、
そばに居て、感じることってあるよなあ。

それを吸収させてもらえるのはありがたいけど、
絵を描くことに関しては、
エネルギーを感じ取るってことは、
一方通行に受け取ることではないように思う。

弟子側から逆に発信してしまうものもあるんじゃないだろうか。
だから実は、無自覚なままで
そばに行って見る、なんてやるのは、
良くないと思う・・・この本のテーマとは違うけれど。


この著者は、絵を描く基本は線である、というのが持論だ。
まず、ペンで描くという。
これにはかなり、抵抗がある。

そういえば、これまで複数の先生に、ペン描きの練習を勧められた。
でも、理由がわからなかったので、少しやって、
すぐまた、鉛筆に戻ってしまった。

昔のスケッチを見ると、無駄な線がやたら多い。
デッサンだって、
とりあえず描いた無駄線を足がかりにして座標を決めているので
画面が汚れていて醜い。
つまり、これが理由だったのだろう。

やだなあ、ペン描き。








2体目の狛犬

先に「あ」を描いて、次に「うん」を描いた。
なんだか、先に描いた方が、
やや丁寧だったように思う。