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日本のジュエリー100年

東京都庭園美術館で開催中の、
「日本のジュエリー100年」を見てきた。

数年前に同じ場所で見た、ルネ・ラリック展に比べれば
華やかさに欠け、出品数もやや少ないように思う。

ともあれ、デザイン画には驚いた。
面相筆で描いたという線は、
0.1~0.2ミリほどの、
ほぼ一定の太さで表現されている。

指輪やカフス釦の実寸大のデザインを、
面相筆で描くなんて信じられない。

明治、大正期なら、まだ誰も筆を使っていたから、
筆使いは、今と比較にならないだろう。
線の安定度は、個人の修練のレベルによるのか、
それとも線画用には、特別な筆や、道具類があったのだろうか?
近年、忘れ去られた使い方もあるかも知れない。

画家の描く絵の良し悪しは、よくわからない。
それよりも、実用的なデザインや、漫画や挿絵の方に凄みを感じる。

日本画なら、上村松園や鏑木清方を見たが、
美しいとは思えても、特別興味を覚えなかった。

だが、画家だけが美を表現していた訳ではない。
明治期にこれほど繊細なデザインを提案し、
これほど手の込んだ細工が可能だった、ということは、
江戸期の工芸レベルが、よくよく高かったということになる。

恐らく江戸中期以降、経済力を持った町人層に、
より高度な工芸品の需要があったのだろう。
各藩が、産業として競って育てた工芸技術もあった。

その時代には、多く描き捨てにされたデザイン画があったに違いない。
日常的に使われ、製造元と共に消え去った
優れたデザインが、多くあったに違いない。

日本には、埋もれてしまった美が、技術が、
沢山あるのだとしみじみ思う展覧会だった。

モネの庭

<モネの庭へ ジヴェルニー・花の桃源郷/南川 三治郎>


先週、国立西洋美術館の常設コーナーで、
モネの睡蓮を見て、ちっとも良いと思わなかった。
この本は、絵が売れるようになってお金の出来たモネが、
道楽で作り上げた庭の写真と解説である。

ジベルニーのモネの庭は、フランスの観光名所の1つとなっている。
写真で見た限りでは、やや雑然としているが、
そこでのモネは、自分の居るべき場所に居る者の顔だ。
ウラヤマシイ・・・いつか訪ねていかねばなるまい。

モネの絵もいくつか載っている。
睡蓮は何点も描かれていると聞いてはいたが、
作品によって雰囲気が全く違う。

私、モネって全然知らないわけね。

モネだけじゃない。
ゴヤとドガ、
マチスとセザンヌ、
ラ・トゥールとフェルメールの違いがワカリマセン。

油絵自体に愛着がないのは
良い絵を意識的に見てこなかったからかも知れない、
と少し反省。

どのみち、おそらく私はイラストや挿絵の方が好きらしい。
でも、余計な能書き抜きにして、
代表的な画家の画集も見ようと思う。

リバティプリントうっとり

プリントデザインのサンプルを集めよう、と思い立ち、日暮里に寄り道。

いつも安物買いで通ったけれど、プリントの絵柄は、質の高い物が欲しい。

Eleganceという店に入った。ここはいつも、商品のクオリティが高く、管理状態も良好だ。

薄く、機づらの美しい綿ローンに
洗練された色柄のプリントが揃っている。
さすが、リバティプリントと言われるだけはある、
多色プリントでも、柄のズレがゼロに等しい。

イギリス人侮り難し。

店の人によると、
なんと、ほとんどのリバティは日本で作られたと言う。
たまにイギリス製も入るが、
リバティジャパンの製品の方が、
生地の質が高く、色柄も良いとのこと。

日本人侮り難し。

リバティも季節ごとに柄の入れ替えがあるらしい。
楽しみなことだ。
定番系のデザインも、突然廃止になることがあるとか。

パッチワーク用の生地を5種類入手。計700円。
ごく小さいが、こうして並べて見て、
やはり破綻のない製品だ。

たかが布切れの事だが、
数年前は、こういう買い方が出来なかった。
人がましい生活が、美しい物を見きわめるココロのゆとりをくれる。

IT業界で働くチャンスをくれた、前の会社の社長に感謝すべきだと思う。
頑張って勉強していこう、XML・・・。

染織と陶器の二人展

有機野菜などを扱う八百屋で、
ちょっと気になる陶器を見て
作品展の開催中ということなので行ってみた。

お母さんが染織、お嬢さんが陶磁器の親子展。
会場におられたお母さんの方と、
ついつい話し込んでしまった。

シルクやウールのネックウェアのひとつひとつに
素材や紡ぎ方や染色に関する話があるのだが、
それよりもっと印象的だったのは、
写真で見せて頂いた、
苧麻やドラセナなど、さまざまな繊維で作ったオブジェだ。

かご編みというが、かなり自己流らしい。
アンモナイト風とか、円錐とか、
繊維の素朴な風合いが、感覚のままに造型されていて、
たまらなく良い感じ。


お嬢さんが武蔵美を出て有田で修行し、
息子さんも東北工芸大を出て、
郵便配達のバイトをしながら木工をやっている、
という、別世界みたいな一家のお話だった。

とは言え、
若い頃から何十年の間、ずっと
作りたい、作りたい、という気持ちを抱え、
続けてこられた方には、存在感があるものだ。

私、何やってるんだろう、と思ったりする。


田村道子・麻耶 二人展
3/14まで、あるぴいの銀花ギャラリーにて
(お菓子屋さんの奥)
大宮区北袋町1-130
11:00~18:00

ラ・トゥール展

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展に行った。

今回の展覧会は素晴らしい作品が集まっているのだ、
と聞いていたし、技術や構成や発想は確かにスバラシいと思う。
勿論、私は足許にも及ばない。

なのに、つまらなかった。理由は、わからない。

国立西洋美術館は、常設が素晴らしいが、
今回も、やはりそう思った。

今更だけど、ルノアールは美しい。
モネの初期の作品もあった。あまり特徴的ではなかった。
大きな睡蓮もあったが、ちっとも良いと思えない。

どれもいろいろ解説が付いているが、
そんな重大なことなんだろうか、と思ってしまう。
たかが絵じゃない、って感じだ。

とにかく今日は感動しなかった。
絵って、煩わしいなあ、とすら思った。

いつも湧き上がってくる疑問。
解説しなければ値打ちのわからない作品より、
それ自体で語りつくしてしまう
漫画やアニメや絵本やグラフィックデザインの方が
よほど社会的価値が大きいのではないのだろうか?

いわゆる芸術作品より、劣っているとも思えない。


例えば、着物の価値がいろいろ語られたりする。

しかし実は、業界の生き残りのための思惑が、背景にあったりする。
着物への賞賛は、セールストークを裏付けるためのもので
あんまり本当の事を言えない、なんてことがある。

実は、美術の世界も同じなんだろうか?

高度な印刷物がふんだんに見られ、
技術やデザインの情報や、画材類が簡単に入手できるこの時代、
ある程度のお金と時間を掛けられれば、
ハイレベルなところに達する人は多いだろう。

画家は昔から食えない人が多かったと言うが、
それでも特殊技術には違いなかった。
それが、今は特別な能力ではなくなっているのじゃないだろうか?

どうでも良いけれど。
たかが絵だもの。

工芸を始めるつもりはなかった

油絵は、乾くまでに何日も掛かる。

ポスターカラーなら線のやり直し、
色の塗りなおしが即、可能だ。
ところが油絵は、
無計画に塗っていると、色が乗らなくなって、
数日間、仕事が棚上げ状態になる。

描いた気がしない。


油絵を描くとは、材料や道具類を扱う、ということで
これが結構、振り回される。

油絵は、工芸の一種ですね、
と何人かに言うと、皆から同意が返ってきた。

描くのではなく、造りこんでいくものだと思う。
職人仕事なのだ。
だから、油絵だけ描いても画力は付かない。
(断言調で書いているが、私は油絵初心者デアル)


とにかく、乾いてくれないと進めない。


絵具に速乾剤を混ぜてみたら、
描いているうちに固まり始め、ダマになる、重くなる、やり難い。
普通に描いて時間を置く方が楽。

多分、まだ要領がわかっていない。

油絵に憧れる、という人の気持ちがわからない。


浅草橋に狛犬

アンデパンダン展
三味線の演奏、バイオリンの練習風景の絵が印象的だった。

そのあと、浅草橋に行った。
神社が2社、立派な狛犬がいた。

物の言葉

物には言葉がある、という気がして仕方がない。

思わず聞き耳を立てたくなる物に
出会うことがある。

あれのように喋る物を作りたい。
あの人のように描きたい。

そのために、あらゆる試みをしよう。

(7)芸事とはそういうものだ

美術予備校では、講師の新しい受験経験が重要なのだそうだ。

受験技術と、デザイナーに必要なスキルとは別だ。
制作の目的が違えば、
指導を受けるべき相手も違ってくる。

画家であれ、デザイナーであれ、
正解のない答えを求めるなら、
予備校講師を師匠と仰ぎ、奉るのは、方向性が違う。
それがどんなに優秀な講師だとしても。

学校はもう、サヨナラだ。

今後も、様々な制作者と出会うだろうし、出会いたい。
好きな事を求めて行くなら、
また感覚を開放した状態で人と接することになる。
だから、精神的ダメージは、繰り返し受けるだろう。

仕方がない。
芸事とは恐らく、そういうものだ。
立ち回り方も覚えよう。

イイ女はツライね。


(ところで、A講師の作品をインターネットで見つけた。
美しくてユニークな作品だった。
未だに実物を見られないのは残念だが、
私の判断は正しかったと思う。
ちゃんと才能の器を見抜いたわけだ。)

(6)自分で

一般科の教室でからかった人達や、
その1年後の別のクレームへの、学校側の対応の酷さのことは、
私を学びの場から追い出した意味で、
思い出す度、恨めしかった。

けれども実は、そのお陰で救われたのだ、
と今頃気が付いた。

美術予備校には全部で1年半通ったが、
その中にいるうちに、
教室で学ぶ事自体が目的化していた。

もっと上手くなりたい、
もっと上のレベルに到達したい、
それには実力ある人の感覚を吸収するしかない、
と焦っていた。
自力で突破することを考えなかった。

そんなふうに講師や学校を頼る気持ちを、
断ち切ってくれたのだ。

あの予備校を辞めた数ヶ月後に、
見学した教室のS先生が言った。

「ここまで描ければ、人に習うのでなく、自分でやるしかないですよ。」

それは、ある程度力が付けば、あとは
絶対的な正解のない世界に自ら踏み込んでいくしかない、という意味なのだ。

そんなこと、あの予備校では誰も言ってくれなかった。