てくむせのブログ -2ページ目

 コーチングをご存知ですか?

 

日本でもかなり浸透してきているので、コーチングという言葉を聞いたことがある方は、

 

大勢いらっしゃると思います。が、コーチングと言っても、いろいろな流派のコーチングがあります。

 

わたしは、ルー・タイス 、苫米地コーチングを学んでいますので、そのエッセンスをお伝えできればと

 

思っています。

 

 

役割というのは「社会からの要請」のことだけれども、

 

役割という概念に、いかなるものが含まれているかは、

 

歴史をさかのぼらなければ見えてこない。

 

西洋白人たちが、自由権利個人などの概念を発明するまで、

 

何千年、何万年とそんなものがなかった時代に役割とは、

 

役割を果たす人=存在している人

役割を果たさない人=存在していない人

であった。

 

私たちが役割を思うとき、こころの深いところで、

餓死がちらつく。

 

結論をいうと、社会からの要請はあっていいけど、自分がしたいからやる。

 

役割から強制とか義務をはずさないとまずいって話です。

 そもそも、「不利な立場」といっても、権力者や多数派の設定した

 

ゴールに対して不利というだけであって、真理に対してでは全くない。

 

 例えば、社会性がないとしたら、調教、洗脳された奴隷ではない、

 

純粋な自分を保った自由人なのだから、うらやましがられる存在

 

ともいえる。そこをゴールとした場合は、

 

社会性が身につくほどゴールから離れることを意味する。

 

 要は視点の問題で、固定化された唯一のゴールなんて

 

存在していない。ただの幻想なんだ。

 

 とすれば、ディスアドバンテージなどない。あるのは、

 

空を飛ぶ羽がない。エラ呼吸ができない。などの事実があるだけ

 

であって、その条件のなかで喜びの人生を送ることが

 

大切なんではないかと思う。

 

 

 障害とは「不利(disadvantage)」ということ。

 

差し障って、害とはなんたる表現かと思う。

 

ハンディキャップ handicap でもないのは、

 

もともとハンディキャップは「差別をしない」ということが語源で、

 

現在は、「なにかを与えてもらわないといけない弱者」のイメージだから。

 

「有利な立場にない」としたほうがいいでしょう。

 

 例えば、社会的、人生的な成功を100m走とするなら、

 

能力に恵まれているということは、99mの地点からスタート

 

するようなもんで早くゴールしたってどうなの。

 

その能力ならもっと先まで行った方が良いし、

 

0mからスタートする人が10mも進めたらすごいじゃないか。

 

 しかし、実際、いわゆる障がいのある人は、ない人に比べて、

 

かなり進んでいるんじゃないかと思う。

社会性とはずばり「調教」なんですよ。

 

自我が芽生えるあたりから、家庭教育、学校教育、地域社会、

 

会社などで仕込まれていく。

 

ただし、中には善いものも若干含まれるといった類い。

 

社会性がないということは、純粋で自由ということですが、

 

調教済の人間からしたら不愉快極まりない。

 

そんなものです。

 

1番たちの悪いのは、調教済みのくせに地位を得たら、

 

それから逃れてもよいと勘違いする輩です。