てくむせのブログ -3ページ目

 権利とは、「義務の中の一部分を例外的にまぬがれることと、

 

負担からのわずかな戻り。」だと思う。

 

注意しないといけないのは、公権力側は、たえず権利を

 

縮小しようとする。

 

更に悪いのは、権利と義務を実質的に逆転させて国民に認識

 

させようとするところである。

 

 例えば、義務教育がその代表である。本来は、子どもの

 

権利だが、まるっきり逆転させていることで深刻な

 

弊害が生じる。悪質ないじめや、学級崩壊など、

 

教育を受ける権利を放棄した側と教育を受ける権利を侵害

 

された側に、適切な対応が成されないのはそのせいだ。

 

ある時期に教育を受ける権利を放棄しても、将来、

 

受け取るチャンスがあればいいだけの話である。

 

 憲法にある幸福追求権も脅かされている。この権利は、

 

個人の思想、身体、財産に関することは個人の自由を認める

 

権利であり、この権利を認めない国は民主主義国でも

 

自由主義国でもないのだが、やれ、血圧が高い、血精脂質が高い、

 

内臓脂肪が多い、血糖値が高い、などと服薬を迫る。

 

また、被雇用者は毎年、医療被曝を伴う健康診断を

 

強制されている者が大半である。それに加えて、タバコは吸うなとか、

 

酒量を減らせ、などなど、きりがない。

 

 

 次回は「社会性」を考えてみる。

 

 

 前回は、自由の核心からそれていた。そもそも「自由」とは、

 

過去、現在、未来、在りとし在るものの全情報の「全知」

 

情報空間を含む全空間と一体であり、「全能」であること。

 

要するに神である。

 

 人間社会にある自由は、別の表現が必要なほどかけ離れてるのが

 

実態で、その「じゆう」なるものは、すべて条件付きなので、

 

その条件を緩めるよう要求する必要がある。

 ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』

 

 ミルは、今ある、道徳、倫理、信仰なども、多数派の、

 

もしくは個人の権力者の、ただの好き嫌いであり、なんら確かな

 

根拠などない。と喝破したが、量子論以降、物理的にも数学的にも

 

完全性が否定されて、彼の正しさが証明されたのであった。

 

 個人や社会が、他者の行動を強制できるのは自衛の場合のみであり、

 

その他者の行為が明らかに不合理であるとか、その他者自身が

 

被害を被るからと言った言い訳は通用しない。という。

 

 ただ、未成年者や障がいのある人は、適用外で保護が必要である

 

ともいうが、現代では、未成年者や障がいのある人にも、もちろん

 

この自由は認められなければならない。

 

 つまりは、他人の権利を侵害しない限り、なにをやっても良い

 

ということになる。

 

 ミルから離れてもっと踏み込むと、犯罪者が罰せられるのは、

 

国家の禁止事項を破ったからではなく、しでかした行為に対して

 

行われる。そのわりには、裁判官の心証やら、犯罪者の

 

反省などで刑罰の度合いが変動するのは実におかしなことである。

 

 日本国憲法にある3大義務も、個人の自由を侵害しているように

 

思える。

 

納税は義務ではなく、権利としてもらわないと困る。税金を無駄遣いする

 

行為は国民の権利侵害で犯罪とすべきだ。

どうも、てくむせです。

 

これから、社会福祉について考えていこうと思います。

 

お気軽にご意見ください。

 

まずは、「福祉とは何か?」ですね。

 

「福」も「祉」も幸福を意味する漢字ですが、では「幸福」とは何かです。

 

「幸」とは、おいしいものを食べて「あぁ~幸せ~」といったように

 

情動です。気分と言ってもいいでしょう。

 

「福」は「福は~内、鬼は~外」と言うように、自らのところに何かしらの

 

モノが来ないと成り立ちません。

 

その何かしらの「モノ」は物質でも情報でもいいんですけど、

 

物質も情報なんで、正確には、その人が受け入れた快の情動を

 

引き起こす情報のことですね。

 

ということは、社会福祉とは、社会に対して快になる情報を届けて、

 

快の情動を起こしてもらう行動のことになりますね。

 

 

次回は自由について考えてみよう。