やっと金曜日終了。
明日から3連休。
貴重な連休である。有意義に過ごしたい。
寝てるだけのような気がするが。
うーん、なぜこのはがきを買ってしまったのか。
不鮮明であるが、大阪徳山間である。
三重県関係の鉄郵印しか入札していないはずなのに。
たぶん、大阪亀山間と勘違いしたのだと思う。
もちろん、そんな鉄郵印はない。亀山大阪間ならある。
徳山が亀山と読んでしまったようである(_ _:::汗
差出人住所は姫路なので山陽線沿いとなる。
10月から郵便料金が値上がり、
そのための新しい切手も発行されているようだが
とどはまったく無関心で、いいのだろうか?と思っている次第。
本来は、料金値上げ間に発行された新料金対応切手について、
旧料金中に面白い使用例がないか?考えるべきであろうが、
考える気力がない無気力状態。
ま、いいかな。
本日四日市郵趣会の会報が届いたところであるが、
その会報のなかで話題になっていた使用例である(^ー^:汗
伊賀上野不統一印の使用例。
差出は伊賀国阿排郡一之宮村。
宛先は伊勢国朝明郡保々市場村かな?(今の三岐鉄道保々駅のあたり?)
上野は11月2日に差出→津も11月2日→四日市11月3日で
四日市から保々市場に持込こまれたのかな。
あ、この使用例は間違いなく明治7年の使用例です。
記番印の使用は明治7年12月から、それまでは抹消印は不統一印。
でも二重丸印(明治7年8月頃から)は使われているので、
これは間違いなく明治7年の使用例です。
とどの出身は三重県多気郡明和町である。
最近知ったことであるが、
なんと明和町を通る三重交通のバス路線が全滅したそうだ。
明和町内を近鉄線は通っていて駅も斎宮駅と明星駅があるが、
その斎宮駅からとどの実家まではかなりの距離がある。
歩いていくには1時間以上かかる。
しかし、バスならとどの実家の近くにバス停があったので、
松阪駅からも伊勢市駅(宇治山田)からもバスがでていたのだが
そのバス路線が廃止されたというのだ。
これにはビックリ。とどが小学生のころは30分に1本はバスが通っていたのに
もしとどが実家に帰ったとして、車に乗れなくなれば
外の町にでることも難しくなる。
深刻な問題である。いちおう町が運営しているコミュニティバスがあるが
それも1日に3本ぐらいしかなく、殆ど使えない。
地方交通はこれからさらに厳しくなるようだ。
さて、買った鉄郵印。
10円観音では持っていなかった王寺和歌山間である。
昭和27年10月18日の使用例なので、銭単位の観音10円の方であるが
観音なので良いことにする(^ー^)
前に紹介したときは土器10円はがきに10円切手を加貼した
比較的新しい(昭和51年)使用例であった。
とどはもうすぐ55歳かな。
生命保険のお姉さんより、保険の見直しを勧められた。
死んだときや、医療保険を見直して、だいたい半額ぐらいまで下げたかな。
どうせ死んでも、とどは独り者だから、高い保険に入っている必要はないよね。
っと、思った次第。
相可木本間。相可木本間は持っていましたが、
昭和18年の使用例でしたので、昭和14年の使用例を。
といっても、もっとはやい使用例が欲しいですね。
・大正12年3月20日 相可口(多気駅)⇔栃原間開業
・大正12年9月25日 栃原間⇒川添間開業
・大正14年8月15日 川添間⇒三瀬谷間開業
・大正15年8月18日 三瀬谷⇒滝原間
・昭和2年7月3日 滝原⇒伊勢柏崎間開業
・昭和2年11月13日 伊勢柏崎⇒大内山間開業
・昭和5年4月29日 大内山⇒紀伊長島間開業
・昭和7年4月26日 紀伊長島⇒三野瀬間開業
・昭和9年12月19日 三野瀬駅⇒尾鷲間開業
昭和9年12月に相可口(多気)から尾鷲まで開通していますが、
まだ尾鷲から木本までは繋がっておらず、
この間は国鉄バスで運ばれていたと、この前教えてもらいました。
この差出は相賀町なので、すでに開通している線路上の駅から
差しだされています。大阪宛なので、やっぱり上り便。
下り便に(木ノ本方面から大阪宛)はないのかな?
関西本線を利用したほうがはやかったのかな。
とどには盆休みがなかったが、
なぜか夏休みがもらえることになり、
明日、明後日は休みをとった。
とど5連休である。有意義に5連休を使いたい@たぶん
すでに夜更かしをしそうなのだが。
また変な不足の使用例を。
それほど変でもないかな。
この私製はがきで速達の使用例。
速達料金の50円切手だけを貼ってポストに差し出されたようで
当時の第2種はがき料金7円が未納。
なので、7円の2倍の14円が請求された使用例です。
郵便局の窓口で差しだせばこのようなことはなかっただろうに。
郵便料金表をみて速達が50円だから、50円だけで良いと思ったのかな?
差出は江戸川の昭和42年8月1日、到着印は大森かな。
24時間表示となっていて0-8だから翌日の8月2日かな。
不鮮明でわからない。
五十肩になってから、
整形外科の先生がだした治療メニューはリハビリである。
そのリハビリの先生は、理学療法士というかな?
その先生が若い女性で、とどは、どきどきものである@汗
肩をもんだりしてもらっているのである。
下のはがき、不足扱いであったのが取り消されている使用例。
稲穂50銭はがきに大阪中央の昭和22年11月1日の消印。
差出人住所は芦屋だが、消印は大阪中央に見える。
さて、最初不足料金は1円40銭請求しようとしたみたいだが。
この1円40銭の半分の70銭が実際に足りなかった金額。
50銭+70銭は1円20銭となり、これは当時の第一種書状料金。
つまりこのはがきは何らかの理由で、書状扱いでは?となったのだが、
気になるのは「くわはら」って印が真ん中より上にあるからかな?
でも、それはいいよとなって、未納不足1円40銭が取り消されたのか?