とどのブログ -2ページ目

とどのブログ

切手やはがきの使用例を集めています。
たまにグルメ、そして猫 にゃ~ 

やっと金曜日終了。

 明日から3連休。

 貴重な連休である。有意義に過ごしたい。

 寝てるだけのような気がするが。

 

うーん、なぜこのはがきを買ってしまったのか。

不鮮明であるが、大阪徳山間である。

三重県関係の鉄郵印しか入札していないはずなのに。

たぶん、大阪亀山間と勘違いしたのだと思う。

もちろん、そんな鉄郵印はない。亀山大阪間ならある。

徳山が亀山と読んでしまったようである(_ _:::汗

差出人住所は姫路なので山陽線沿いとなる。

 

今日、スーパーに行ったらお米を売っていました。

たくさんありましたよ。

もう大丈夫なのかな。

お値段は、少し高く感じましたが。

 

10円観音使用例では持っていなかった、門司鹿児島間(東回)の使用例。

10円観音の使用例だと思って入札したら8円カモシカだった@汗

よく見てなかったようだ。

延岡差出なのがいいですね

10月から郵便料金が値上がり、

そのための新しい切手も発行されているようだが

とどはまったく無関心で、いいのだろうか?と思っている次第。

本来は、料金値上げ間に発行された新料金対応切手について、

旧料金中に面白い使用例がないか?考えるべきであろうが、

考える気力がない無気力状態。

ま、いいかな。

 

本日四日市郵趣会の会報が届いたところであるが、

その会報のなかで話題になっていた使用例である(^ー^:汗

 

伊賀上野不統一印の使用例。

差出は伊賀国阿排郡一之宮村。

宛先は伊勢国朝明郡保々市場村かな?(今の三岐鉄道保々駅のあたり?)

上野は11月2日に差出→津も11月2日→四日市11月3日で

四日市から保々市場に持込こまれたのかな。

あ、この使用例は間違いなく明治7年の使用例です。

記番印の使用は明治7年12月から、それまでは抹消印は不統一印。

でも二重丸印(明治7年8月頃から)は使われているので、

これは間違いなく明治7年の使用例です。

 

 

なんとか出勤しました@汗

 まだまだ日中は暑いですね。

 朝夕は暑さが和らいできているけど、

 夜はまだまだエアコン必要です。

 

えっと、大津今津間だと思います。

湖西線ではなくて、江若鉄道であってるのかな。

差出人住所は、滋賀県高島郡新旭町となっており

今でいう湖西線の近江今津駅のひとつ前の駅に新旭という駅がある。

当時は江若鉄道で、大津方面から近江今津まで路線があった。

湖西線は江若鉄道の路線を利用して、昭和49年に開業した。

眠れない。

明日から働きたくないよう。いや、すでに今日になっている。

うーん。明日から、働かねばならぬか。

ブログ書いたら寝ましょう。

 

10円観音貼の鉄釉使用例。

オークションをよく確認しましたが、まったくもっていなかった鉄郵印

音威子府稚内間です。

天北線。もともとはこちらが宗谷本線だったようですが、

いまの宗谷本線が完成すると、天北線に分離されたようです。

現在は廃線となってしまいました。

差出人は小頓別、浜頓別の高校まで天北線で通っていたのでしょう。

小頓別を調べると、いまは殆ど人が住んでいない地域となっています。

 

とどの出身は三重県多気郡明和町である。

最近知ったことであるが、

なんと明和町を通る三重交通のバス路線が全滅したそうだ。

明和町内を近鉄線は通っていて駅も斎宮駅と明星駅があるが、

その斎宮駅からとどの実家まではかなりの距離がある。

歩いていくには1時間以上かかる。

しかし、バスならとどの実家の近くにバス停があったので、

松阪駅からも伊勢市駅(宇治山田)からもバスがでていたのだが

そのバス路線が廃止されたというのだ。

これにはビックリ。とどが小学生のころは30分に1本はバスが通っていたのに

もしとどが実家に帰ったとして、車に乗れなくなれば

外の町にでることも難しくなる。

深刻な問題である。いちおう町が運営しているコミュニティバスがあるが

それも1日に3本ぐらいしかなく、殆ど使えない。

地方交通はこれからさらに厳しくなるようだ。

 

さて、買った鉄郵印。

10円観音では持っていなかった王寺和歌山間である。

昭和27年10月18日の使用例なので、銭単位の観音10円の方であるが

観音なので良いことにする(^ー^)

 

前に紹介したときは土器10円はがきに10円切手を加貼した

比較的新しい(昭和51年)使用例であった。

 

 

 

とどはもうすぐ55歳かな。

 生命保険のお姉さんより、保険の見直しを勧められた。

 死んだときや、医療保険を見直して、だいたい半額ぐらいまで下げたかな。

どうせ死んでも、とどは独り者だから、高い保険に入っている必要はないよね。

 っと、思った次第。

 

相可木本間。相可木本間は持っていましたが、

昭和18年の使用例でしたので、昭和14年の使用例を。

といっても、もっとはやい使用例が欲しいですね。

・大正12年3月20日 相可口(多気駅)⇔栃原間開業

・大正12年9月25日 栃原間⇒川添間開業

・大正14年8月15日 川添間⇒三瀬谷間開業

・大正15年8月18日 三瀬谷⇒滝原間

・昭和2年7月3日  滝原⇒伊勢柏崎間開業

・昭和2年11月13日 伊勢柏崎⇒大内山間開業

・昭和5年4月29日  大内山⇒紀伊長島間開業

・昭和7年4月26日  紀伊長島⇒三野瀬間開業

・昭和9年12月19日 三野瀬駅⇒尾鷲間開業

 

昭和9年12月に相可口(多気)から尾鷲まで開通していますが、

まだ尾鷲から木本までは繋がっておらず、

この間は国鉄バスで運ばれていたと、この前教えてもらいました。

この差出は相賀町なので、すでに開通している線路上の駅から

差しだされています。大阪宛なので、やっぱり上り便。

下り便に(木ノ本方面から大阪宛)はないのかな?

関西本線を利用したほうがはやかったのかな。

今回のジャパンでの鉄郵印特集。

とども買いました。

 買ったのはとどが持っていなかった相可尾鷲間。

 相可木本間は持っていましたが、相可尾鷲間は持っていなかったのです。

 

しかし下見をしなかったので・届いてみれば

ややぶれている消印でした。昭和5年9月11日。

上り三便かな?

大阪宛で、この場合は相可→亀山→大阪 となるのか。

しかしまだこの当時は相可口(多気)から紀伊長島までしか

開通してないから、紀伊長島⇔尾鷲は車?ではこばれたのかな。

あるいは船?

 

とどには盆休みがなかったが、

なぜか夏休みがもらえることになり、

明日、明後日は休みをとった。

とど5連休である。有意義に5連休を使いたい@たぶん

すでに夜更かしをしそうなのだが。

 

また変な不足の使用例を。

それほど変でもないかな。

この私製はがきで速達の使用例。

速達料金の50円切手だけを貼ってポストに差し出されたようで

当時の第2種はがき料金7円が未納。

なので、7円の2倍の14円が請求された使用例です。

 

郵便局の窓口で差しだせばこのようなことはなかっただろうに。

郵便料金表をみて速達が50円だから、50円だけで良いと思ったのかな?

差出は江戸川の昭和42年8月1日、到着印は大森かな。

24時間表示となっていて0-8だから翌日の8月2日かな。

不鮮明でわからない。

五十肩になってから、

整形外科の先生がだした治療メニューはリハビリである。

そのリハビリの先生は、理学療法士というかな?

その先生が若い女性で、とどは、どきどきものである@汗

肩をもんだりしてもらっているのである。

 

下のはがき、不足扱いであったのが取り消されている使用例。

稲穂50銭はがきに大阪中央の昭和22年11月1日の消印。

差出人住所は芦屋だが、消印は大阪中央に見える。

 さて、最初不足料金は1円40銭請求しようとしたみたいだが。

この1円40銭の半分の70銭が実際に足りなかった金額。

 50銭+70銭は1円20銭となり、これは当時の第一種書状料金。

つまりこのはがきは何らかの理由で、書状扱いでは?となったのだが、

気になるのは「くわはら」って印が真ん中より上にあるからかな?

でも、それはいいよとなって、未納不足1円40銭が取り消されたのか?