あやふやな感覚は大事
雨が続くこの頃、枯れた山の木を見ると表面には苔が良い感じで生えている。
この質感は良い。
小さいながらも主張が強い
この主張が存在感を浮き立たせ、それが何かしらのヒントを与えてくれような気もするが、それが何かはまだわからない。
そもそも存在感はサイズに比例するだけのものでもなく、何らかの知名度や注目度でも影響するだろうから、存在感というあやふやな感覚は多数の第三者の評価があってこそ定義付けられる?裏付けられるのだろう。
あやふやな言葉として、「好き」という形容動詞もあったりするが、これはまた説明が難しい。
物、人、文化、味、匂い、音、光、色等と、あらゆる存在に対し好きという一言がある。
一体何なのだろうか?もしかすると自分以外のあらゆるものの中に自分の心の中の一部を見ていることなのだろうか?
心の一部を補うために安心感を増やそうとする行為だと言えるのかな?
だとすると自分がプレデターコスチュームを長年作り続けるのは、プレデターという存在の何処かに一種の安心感を見出しているのか。
ただ単に造形が好きだけならば他にも沢山の物があるだろうし。
あのキャラクターは強いがドジだし、強いが怪我するし、強いが醜いし。
やっぱりエイリアンのくせに妙に人間臭い、そういった所にどこか応援したくなるような魅力に惹かれたのかも知れない。
余談だけど本当はトトロも作りたいんだけどね。
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スーパーであけびの実が売られていた。
娘たちに見の果実をあげる代わりに種だけ返してとお願いしゲットした沢山の種。
これを試しに植えてみて、実が生るところまで頑張って育ててみようと思う。
ちょっと元気が湧いた
今日初めて思い出したように「インターステラー」という映画を見た。
2014年上映だったのだが、観ようと思いながら忘れ、また思い出し、また忘れ・・
気が付いたらイメージのみ記憶に残り、題名を忘れていたという間抜けぶり。
最近ひょんな事から記憶の何処かにしまわれていた名前が勝手に浮かびだし、
ネット配信で12年越しに初めて観る事になった。
当時から気になっていたものだから、どんなものなのか期待していたのだけど
予想以上に良かった。
観終わって、なんか心の深くから元気が湧いてくる感覚を覚えた。きっと自分はこんな映画が好きなんだろうなぁ
叙事詩的映画?っていうの?壮大なスケールで、しかも始めと終わりが繋がっているというまるでシックスセンスを思い起こす構成は本当に楽しい。
あの映画のテーマには人間の強烈なエゴが隠されているね。
たぶんその叙事詩的という内容で、自分の悩みが吹っ飛んだ感じだ。
気が失せぬうちに今の世の中を考察してみると、ある事が分かった。
最近は「世界が右傾化している」と メディアなどで騒がれているけど、あれは違うね。
”右傾化”ではなく、単なる”ポンコツ化”という事だろう。
右も左も保守も革新もリベラルも不寛容もパターナルもマターナルも全く関係ない
ただのポンコツ化現象だ。
SNS等の政治的な意見には、妬みや憎悪が文面から強烈に滲み出るのを
当事者達は隠す事ができない。
だからある意味ではこのまま進めばいい。
いずれは己らがアホだったと言う事を身を持って感じ反省する時が来る。かも
それまで待つしかない。
それが一番の近道だと理解した。
ただし、それらポンコツ化を肯定するような輩は心底軽蔑する。
エゴだねぇ
でも、人を助けるのもまた人なんだよね。
そんな自分も、ある意味ポンコツだろう
コミュ
夜12時頃にイタリアのドナートさんから質問があり。
「プレデターの口の稼働部についてアドバイスして」
ドナートさん曰はく、内部の筋の構造や、機構部のバネ等について理解出来ないところを教えてほしいとの質問だったので、図と文で説明したところ
「OKOK!分かりました。これを踏まえて自分なりの工夫をしてみます」
と返事が返ってきたので一安心。
世界中で稼働ギミック付きプレデターが増えています![]()
スペインが一人、アメリカが4人、イタリアが1人、タイが一人。
AIに尋ねてみた
AI に、ある質問してみると、面白い答えが返ってくる。
質問: 日本国内において、最近ごく一部の人達が騒いでいる「中国が攻めてくるかもしれない」などの心理は、哲学と宗教とどちらが近いですか?
との質問では、
AI: 日本国内でささやかれる「中国が攻めてくるかもしれない」という不安の心理は、「哲学」と「宗教」のどちらの側面も持っており、その人の情報の受け止め方によってどちらに近いかが変わります。
と答えが返ってきた。
ではそれに追加して、
質問: 「攻められるかもしれないから、強力な武器を持たなければならない」といった心理はどうですか?
とする質問の答えは、
AI: 結論から言うと、その思考パターンは
「宗教的思想(あるいは宗教的心理)の構造」と一致しています。「攻められるかもしれないから、強力な武器を持たなければならない」といった、信仰による安心の希求となり短絡的で極端な救済策(教義)を盲信する引き金になり得ます。
だそうだ。
哲学的な思想では、「攻めてくるかもしてない」又は「攻めてこないかもしれない」と可能性に目を向け、思考が停止しない。
実際に哲学からのアプローチと、宗教からのアプローチで物事を考えるとここまで違うんだと感心してしまった。
不安心理に飲み込まれる人の特徴は宗教的な思想に近いのかもしれない。
考える事を放棄するという事は非常に危険なのでは?と思った。
いろいろ考えは違うと思うけど、たまには感情の無いAIに質問してみるのも良いのかも知れない。




















