V.A.-1945

 

帝都音社で出した作品で一番思い入れがあるのは矢張りこの作。勿論それぞれのリリースに思い出はあるが矢張り「こういうことがしたい」という考えのもとに出したもの故に思いは強い。敗戦から70年、敗戦国の音楽家のみで作り上げたインダストリアルのコンピレーション。私が考えたのは兎に角、「敗戦国の1945」であること。享楽的展開や商業主義的クオリティの高さは求めず陰惨で無機質で「商品」として低品質かつ無愛想であればあるほど良いと思っていた。つまり「最低限必要」であるとして生産されたものであるという体を持たせたかった。その様な事を各参加者に一々と述べたわけではないが参加してくれた方々の諸作は申し合わせたように「余剰」、「過剰」からは程遠く実質的かつ陰惨で灰色なものであった。テーマに相応しい内容であり、大風呂敷を広げたところで結局は享楽、余剰、過剰へ流れるような商業主義的似非インダストリアルとは一線を画したものになったと思う。某レーベルからは再発をなんてぇ話も出ているが著作権的に無理であろうし、再発という事自体が享楽的で商業主義的だ。1945に生まれたものは忌まわしいもの、現代にそぐわないものとして捨て去られるかどこか家の中で死蔵され、そのまま陰惨な過去の記憶と共に忘れられるのが筋であると思っている。

 

PS1

弊社社長も私同様に(音楽に関しては)無愛想かつ商売っ気のない人間であるので無愛想かつ情報量の少ない外観(これはLinekraft=大久保さんにお世話になった)をいたく気に入って頂き副社長としての久々のリリースで面目を保つことが出来た作品でもある。

 

PS2

discogsには150本限定とあるが恐らくは130前後ではなかったろうか。因みに少部数の非買限定品として混沌の首のDVDRが付いたバージョンもあり各参加者Tesco,Freak Animal辺りに配給した。これは海外勢からも中々好評であった。

 

 

Sturmfuhrer-Eisenmutter

表紙に写るは元ドイツ首相というか相当の御母堂。タイトルは「鉄の母」。こちらの世界で那智の女性と言えばその昔FM誌上で御大が料理人と間違えて紹介していたI.Kがまず第一に思い浮かぶ。その他、宣伝大臣の妻の顔もどこかで見た記憶があるが詳細は思い出せない。それは兎も角、鉄の母とI.K.。どこかの誰かが調べてくれたおかげで私は当初からI.K.は料理人ではないと知っておりその趣味の悪い行いの詳細も知ってはいる。だがそのV.A.を当作品と引き比べた場合、再発の際に元養鶏場経営者の演説をカットしたりそもそもCome Orgの活動当初からの露悪趣味めいた行いもあったりで、サブカルをことさら憎む私のような人間からするとその悪行を行った女は皮剥ぎ→エドゲイン→レザーフェイスというサブカル路線にも適用可能であることが予見されていたかのような「遊び感覚」を覚えてしまう(公平を期するために書いておくがこの音楽的にはV.A.は疑いようのない名盤である)。対して、このどこを見ていらっしゃるのか分からない目つきの御母堂ジャケットの気味の悪さと冗談の通じなさ。私がサブカルライターをまねても「どこを見ていらっしゃるのか分からない目つきの御母堂ジャケット」と書くのが精いっぱいだが金が絡めばもっとうまくかけるのだろうか。内容もとても冗談で扱えるようなものではない。誓いの言葉があり、ウィンナーワルツが流れる向こうで「まずは清潔にしましょう」と到着した人々に呼びかける情景があり、健康を害しそうな埃が舞い立つような音の繰り返しがあり、時間が80年ほど前に戻ったように錯覚させる仕掛けがある。8曲目では私もベオグラード放送の再発版で聞いたことがある母親へおやすみを言うバラードが流れる。その次のラストはEinsamkeitとタイトルがあり、怒る人がいるかもしれないが20分やったらNWWのSoliloquy for Lilithになるんじゃないかと私は思う暗黒冷酷アンビエント。リリース時にはまだ両親の墓は健在だったと思うがその喪失を予感させるような重苦しさ。アルバムタイトルと似ても似つかぬ曲調で強さ、勇ましさの欠片もない。この曲だけ位相を変え相当になりきって母の死を嘆いたのか、その傍らに後に亡命を許可される医師がいたことも彼の意識の片隅にあるだろうか。あんまり真面目に聴くと病みそうな一枚。
 

Intrinsic Action - PEEPLAND

Caligula 031 - Sexdrome

私は「入ったが最後殺される可能性もある」と思っているので風俗店には行ったこともないし、行かないまま一生を終えるであろう。だからこそその「一生足を踏み入れる事の無い場所」は異様な魅力と神秘を持って私の前に存在し、そういう場所を「外から眺める」のが好きという風変わりな趣向がある。ヨーロッパの非歓楽街で見るそれは見るからに怪しげ、隠微で正に異界へと続く場所かのように街中にひっそり存在している店がありまたそれがたまらなく旅情をそそった。という訳で私はこの手のジャケットにひどく弱い。バンド自体も好きだがまあ所謂ジャケ買いとも言える購入ブツ。Intrinsci ActionのPEEPLANDは彼らのEP5枚と別プロジェクトSurgical Stainless SteelのEP1枚( !!!"WOMAN HATER" !!! )をコンパイルしたCD。N.Y.C.という表記とかジャケに一部写る映画「タクシードライバー」の一場面とかで田舎者はあっという間に怪しげで孤独な都会生活を思い描いてしまうが彼らの音の胡散臭さ、奇妙なクールさはその思い描いた風景を見事に音として落とし込んでくれるもので風俗店に行く男性諸氏が恐らくは抱いているであろう背徳感やら何やらをCD1枚の値段で何度でも追体験できるので非常にリーズナブル。パワエレと一言で括れない何かを感じさせてくれるバンド。そしてCaligula 031。この人は過去のディスコグラフィーを見ていただければ分かるように「甚侵買売」をテーマに多く作品を作っている風俗店に関する冒頭の私の考えを裏付けてくれるようなアーティスト。音内容は前者より遙かに攻撃的。典型的なパワエレスタイルだがじっくりと聞きこむとそこに私が多々見てきた商売をする女性達が纏っていた陰惨さ、死の影を感知することも出来る佳作。

GENOCIDE ORGAN -Save Our Slaves

 

私が初めて購入した彼らの作品。RRR経由で確か20ドルで購入。その頃はDue Processが好きで所謂「ノイズ」に塗れていた時期ではあったが書籍方面では「那智洲」「幌抗棲戸」方面の文献を漁っていたのでRRRのカタログにあったこの「バンド名」に反応して購入したのだろう。「音楽で社会的プロテストをするのはパンク。ノイズでやってるのはみな80年代からのお家芸=ひけらかし」程度の認識しかもっていなかった当時の私だが、さてアメリカより届いた箱を開けたその中にあるセメント様の物を塗られた(固まった粒が零れ落ちる)灰色の箱に麗々しく赤帯がかかっており、その面中央で人らしきものが焼かれている外面。蓋を開けるとそこで明らかに不穏な空気を醸し出しているインサート群とその上に貼り付けられた剃刀の刃。何故か12インチと7インチにわざわざ分けている実体などを見て「これは明らかに今までの”ノイズ”とは様子が違う」と身構えざるを得なかった。GOはこの様な作品提示の仕方によってリスナーの心理状態を操れると考えていたのかまでは分からないが(十分あり得る事ではあるが)私は薄っすらとした不安な心持と共にこの作品に針を落とすことになったのだ。一曲目のPatria Y Libertadでの「ノイズ」とは明らかに出どころの違うなだれ込んでくる様な狂暴な音とやたらと(その届く)高さを重要視したような歪めまくられた声(?)=それこそインサートにある燃える十字架の様に屹立した音塊は、今思えば、正にノイズのそれではなく「デスインダストリアル」のそれであった。その緊張感は以降も薄れることく音盤2枚にきっちりと刻み込まれていた。当時の心境を思い出すことは困難だが当時無数に購入していた作品の中でも特別な位置を占めるモノとなったことだけは記憶にある。再生すると矢鱈とその居場所を主張するような不穏な音群が「デスインダストリアル」の名を付されそここちで鳴り響き始めていると知るのはこの少し後であったと思う。

PS

TESCO115として他の音源と合わせ目出度く再発された。

 

V.A.- Breathing Wounds

電子雑音時代に「ノイズがお洒落だとか意識高い系だとか思ってる人はこの作品を買う意味が全くないよ」と言う様な前文を書いた上でレビューを書いた作品が何点かあった。それらは表紙こそ違え、私が頑迷に信じている「ノイズ」の中心点へ向かっていくような作品群であった。その頃から私は「ノイズ」をその中心点から引き剝がそうとしていると妄想していた元凶=「トレンド」、「アカデミズム」、「似非アート」、「商業主義」などと妄想の中で戦っており、その妄想の結果として幾らかのレビューが残っている。しかし同じような「妄想」を抱いている人間は所々にいる様でノイズ界隈をうろついているとその様な言説を垂れている人間に出会う時もある。そんな人間達がたまたま一か所に集まって出来てしまったこのVA。(この作品は昨年リリースだが)「今って2022年だよな?」と確認してしまう。それ程までにこの作品に籠められた音群は今の時代からかけ離れている。偶然にもWoundという単語を持ったOpen Woundからのプロレタリアパワーエレクトロニクス集Transmission of Power(https://ameblo.jp/teitoy/entry-12472788466.html)の続編が20年経ってリリースされたかのようだ。内容はと言えばCDの前後を占めるDesolate Fleshの泥酔したオッサンが金属片を叩いて喚くというプリミティブな音源がスタイリッシュに聴こえてしまう程にその間にあるものが酷い。拡大して見れば間違いなく「ノイズ」はお洒落小物や意識高い系の小道具、果ては女子供の手慰みにまで堕していると思うのだがそんな次元から最も遠くにある音の塊。吹っ切れた爽快感や世の先端の音楽を聴いている様なオナニー感など全く無し。ゴミクズの様な汚らしい音がただ一か所に集められ腐臭を放っている。まだノイズの世界にも無頼派が残っているまごうかたなき証左。ゴミクズ愛好家に届けられた久々の朗報である。

Deer hunterでのロシアンルーレットの場面から始まる。問題ないから引き金を引けと戦友を励ます声。それが錆びた鉄の臭いをまき散らすような音塊に取って代わられる。そんな幕開けで始まるIN-KONFLIKT。時おり剥き出しの暴力が暴発するが虚無的なその外観がほとんど変化しない陰惨で陰鬱な世界観。「私達自身、自らの意思にかかわらず、全く容易に、虐殺する側にもされる側にも、常に陥りうる事を知ってしまった」(日本版帯に付された電子雑音Kさんの文章より)世界の音楽。何故にこの様な音楽をGENOCIDE ORGAN=虐殺機関は配給し続けるのか。また彼ら自身の考えとは何か。それを読み取ることは難しい。彼らは饒舌ではないから。しかし当時この作品を受け取った私は彼らの作品にしては珍しくブックレット上での情報量が多いなと思ったのを覚えている。彼らの心の内を知るべくそれらを読み解いてみると、彼らが「俺達は決して本当の事は話さない。話したとしてもそれを多くの偽りの中に埋もれさせる」と言っているとしても、その哲学的な言葉遣いのうちに彼等の思考とは言わぬまでも志向/嗜好の様なものをうかがい知ることが出来る。そして何故に冒頭で「引き金を引け」と言わせたのかも(そして2度目の来日ライブでWILHELM HERRICHが聖書を引き裂いたのかも)。Kさんは矢張り慧眼であり帯上に彼なりの解釈(恐らくそれは正しい)を記しているのだがそれを記すことは意味がない事と私は思うのでその回答以降の文を引用し終わりとしたい。「彼らは問い続けるのだ。この音は、私達ひとりひとりの心に深く打ち込まれた、漆黒の楔である」。
PS 帯付き&WILHELM HERRICHインタビューを添えて日本版をリリースしようと言ったのは電子雑音編集長=MSBR=田野さんのアイディア。不愛想でそういう茶目っ気というか色気のあることを全く考えられなかった私より流石に田野さんはアイディアマンであった。


 

LINEKRAFT - ASURA

ライブチラシに発狂と大書したり、己を工業患者と称したりしていた彼がいつの頃からその狂気を自己に限ったものに留めるだけではなく、歴史、社会の中で如何に自分が狂気でありかつ正気であることが出来るかという表現行為に拡大させていったのか。またその経緯は何であったのか。テッド・カジンスキーに始まり、ウクライナ、カンボジアと続いていったその狂的エネルギーの彷徨は偶然かつ必然に、終着駅ではないものの、このアルバムに辿り着いた。マンハイムでのライブを皮切りとすれば五年間に及ぶTESCOとの付き合い。それを契機としGENOCIDE ORGANとANENZEPHALIAという90年代以降のDEATH INDUSTRIALの最高峰を擁したレーベルから(この音楽ジャンルに国籍は殆ど無関係とは思うが)日本のバンドがこの言い訳をする余地の一片もないジャケットでこれだけの内容の作品を発表したことは感無量と言えば感無量である。先の両巨頭が流し込んでくる時に扇情的でありながらもその根底には徹底したニヒリズムを持った統制された音の流れを現代の欧州的と言えるとすれば、この作品でのLINEKRAFTの濁音は今なお日本の片隅に間違いなくあり続けている陰気な黴臭さ、咳き込んでしまうような埃っぽさ、そして時として暴発する狂気を見事に盤面に刻み込んでいる。自らを「馬の骨」と称する人間のこの作品を歴史的名盤に祭り上げる財力、影響力は、喜ばしいことに、今の日本のサブカル界には無いだろう。また知的サークルから見ればこの作品のあけすけな態度は余りにも彼等象牙の塔の住人達の洗練された生活態度からかけ離れたものであるだろう。そして「ノイズ」、「インダストリアル」が一般化:陳腐化した結果ちんけな資本主義的神話化をされる可能性もほとんどと言って良いほどない。故に10年後、20年後にこの作品を中古屋で二束三文で購入するのはその時代の「馬の骨」であるはずでそれは又、作者の大いに喜びとするところなのではないか。
 

PS 恐らく次号になると思いますがSPECIAL INTEREST ZINEにて当アルバム作成に至るまでの経緯がインタビューと本人の手記という形で掲載されます。当作品を気に入られた方は是非、お読みいただければと思います。

 

PS2 位相はことなるが同じく大正期を見事に描き切った作としてこの一作も忘れ難い。 

 

 

 

 

 

OTTIS IN THE WOODS - S/T

街中に住んでる人間の偏見に過ぎないだろうが非街中には何やらの神秘・非日常がある。何か変なモノ、習慣、人がある・いるのではないかと。deep southの森にOttisという一見人の良さそうなおっさんがいたのだろう。当作品のジャケットに見ることもできるがそのおっさんの笑い顔には、これも偏見だが、一歩間違えるとその純粋さ故に禁忌を一飛びにしてしまう様な狂気が垣間見えたのだろう。子どもの頃はサタニストの祖母に墓を暴かされたりもしたようだ。そして悪魔の子と呼ばれもした。放火も好きで火を見ながら性的夢想にふけることもあった。男娼兼乞食兼浮浪者になってその辺をうろうろしていたらLucasとかいうもう一人のおっさんと出会って色んな意味で合体、その後二人で1000人以上の人を殺したぜと訳の分からない自慢にもならない自慢を警察にしたりもしたようだ。The Hand of Death何て言う如何にもアイキューXX(PC対策)の人間が名付けそうな秘密結社に頼まれた殺人行為も行ったそうだ。とまあOttisとかいうおっさんは実在したのだがその名を勝手に使ったOTTIS IN THE WOODSはこの一作を残して行方不明。如何にもFILTH AND VIOLENCEな爽快感のない小汚いノイズというか雑音というか騒音とカッコ良さの欠片もないカッコ良いおっさんの声が魅力的。リリース元のレーベルカラーからしてアイキューに触れた曲名が一番グッと来たのではないだろうか。その剥き出しの汚ならしさ・堕落と暴力。馬鹿を超えた馬鹿、キチガイを超えたキチガイ、無意味ですらない無意味さ、堕落などではない堕落、暴力を超えた大暴力。人が何も考えられなくなる&考えなくなるその一点をめがけてFilth and Violenceは意味もなく疾駆しているように思える。その典型的一枚。最後は虚ろな笑い声とホワイトノイズで終了。素晴らしいとすら言いたくないような素晴らしさ。

 

VOND-Selvmord

彼にはエンペラーのベーシストという紹介が永遠について回るのだろうがMortiisはソロ名義の他にもこのVONDなど幾つかの名義で作品を発表している。CMIからの諸作で興味を持ちその他のプロジェクトにも手を出し始めた矢先に入手したのがこのCD。全裸で今まさに女性の喉首を掻っ切ろうというジャケはその頃に私が良く聞いていた電子雑音で言ったところの「極悪系」なるハーシュノイズ群と相性の良い物であったがそこは矢張りMortiis、繰り広げられる音世界は彼の豊かで抒情的な音楽的感性をそのものであった。タイトルを繋げると「自死は生活への別れであり、新たな世界への旅立ちである。故に悲しむことは無い」とでも言えそうなVondの作品はMortiis名義の作品よりもプライベートな趣の強いメランコリックなドローン風旋律で始まる。急にその旋律は疾走し、ぱたりと止む。揺らぐような旋律は何度も天へ向かおうとし、それが叶わなくとも地と天の間を逍遥する。その逍遥が終わると聴いたことのある人ならまず間違いなく喜多郎を思い浮かべる牧歌的なメロディーが流れるのだが全てを当たり前のように置き去りにして立ち去っていくような展開を見せるこの場面がとても怖い(これは私の個人的趣味なのだが今まで凶暴なことをやっていた人がそれをふつりと止めたときに発表する静的な作品に興味がある。そこにある諦念というかもう世の中と縁を切った感じを知覚出来るものが特に)。そしてアルバム前半にあった多少の陰鬱さはどんどんと影を潜め、メロディーはうっすらとした明るさすら感じさせながら軽やかに盤面を滑っていく。そして何やらの神秘を感じさせる世界を潜り抜けて行くのだがやはり遠くには何か神々しいものがあると聴き手には感じられる。その後に始まる勇壮な旋律も恐怖を振り払うためのものではなく、向かう先に人の足を駆り立てる何かがあるかのようだ。最後は葬送の場であろうか。抒情的な旋律が流れるけれどもそこに「終わり」は感じられない。そこには一時の安らぎの後に人がまた立ち上がる

様を想起できるような何かがある。

 

STRICT - In Preparation
TaintとのスプリットEPでそのドキチガイヴォーカルが心に響いたSTRICT。フルアルバムは当作品を併せて2作。そのリリース元がMurder Release,Bizarre Audio Arts,そしてBiteworksというのも渋いというか濃いというかだが確かに彼に相応しいラインナップと言えると思う。この作品はBizarre Audio Artsからも出ているようだが私が持っているのはBiteworks盤。恐らくTaintに売ってもらったものと思う。市販のプリンターで印刷した写真を、意外と丁寧に、裁断してある。さてドキチガイヴォーカルと言えばSutcliffe Jugendをその泰斗とするが彼等も矢張りWhitehouseというよりはSJな人達である。ヴォーカルレスな曲もある為に上記EP程、ヴォーカルに圧倒され続けることは無いが高周波中心のエレクトロニクスが暴れまわる中、女にもてたい、格好良く振舞いたい、クールな人間になりたいなどという低俗な邪念の欠片もみせず、それ以上の低俗さと邪念を振り撒きながら混じり気のないドキチガイヴォーカルが発せらたり、時としてSJにも見られるような「この先へ行ったら殺されるかもしれない」と感じさせる薄暗い路地裏をノイズに変換したかの様な音風景も見られたりする。最近、イデオロギーに凝り固まったあっち系ばかりを聴いていたせいか5曲目のToilet Tart等でのヴォーカルのどうしようもないキチガイ振りを聴いた気持ちはまるで長年音信不通だった親友に出会ったかのよう。おしゃれなノイズリスナー除けにもなるとは言え20枚限定はあまりに酷い。全てのゴミ屑の様な非妥協的ノイズリスナーに捧げられるべき傑作の一つ。