番外編 JIMI HENDRIX AND BAND OF GYPSYS
恐らくノイズを「聴き込む」若しくは「買い込む」ところまで行く方々は自前の情報網で音源を見つけ出し、自分の嗅覚でその良し悪しを判断していると思う。そんな彼らに「国内盤解説」を読んだり、一般流通している「音楽誌」に掲載されている「音楽評論家」の「レビュー」を読んでいた時期があるかないか?少なくとも私にはあり、それらを見限った時もしっかりと覚えている。その一回目というかほぼ最初で最後に等しいほどに「音楽評論家」への不信感を植え付けてくれたのがこのアルバム。見開きジャケット内に印字された解説の中で彼は書いている。このアルバムの白眉はB面の3曲目であると。他の曲の解説を書いている際にもそう書いた。この曲よりB面3曲目が良い、B面3曲目ほどではないがこの曲も良いと言う様に(笑)。アルバムを聴いてみた。9分と12分という長尺の曲が並んだA面の不健康/ちょっと不穏な雰囲気は堪らなく良かった。B面ではそれが一変し、「おいおい」と私は思ったのだがまあ兎も角は白眉の3曲目だ。しかし、その曲は何かハッピー曲調(だったと思う、覚えてない)にバックのおっさんが「ヘェー」とか「ホォー」と能天気な合いの手をかますというしょうもない(個人の感想です)ものだった。その時は彼個人を「信用ならんやっちゃな」と思うに留まったのだが後日ミュージックマガジン(だったと思う)でこのアルバムを指し「一般(評論屋界隈のことなのか全世界人類の事なのかは不明ー筆者注)にB面が良いとされるがA面も悪くない」みたいなことが書かれているのを読んで、「これ以上、こやつ等に付き合っていると騙されるばかりだ」と確信したのである。以降、有名無名を問わず「評論家」&「評論屋」の書くものは全くと言って良いほど読んでいない。正直、彼等より熱心な一般のマニヤの方が詳しいのが現実でメジャーからマイナーまで殆どの道標が無くなった中、マニヤが一方的に垂れ流す情報やその断片から新しい物を自分で探し出しているのがノイズリスナーの現状ではないだろうか。またその現状がアンダーグラウンドの音楽にとってはある種、健全な状況であるように思うがどうだろうか。
PS なおジミヘンはたしか同誌で「晩年はつまらないインプロを垂れ流している」とも書かれており、それが私の垂れ流しノイズへの偏愛につながった可能性はある。
PS2 あともう一つ、不信感を植え付けてくれたのがFOOL'S MATEに載ったMUSLIM GAUZEのUZI。詳しくはこちら。何故、これがムスリムガーゼではなくインダストリアルに聞こえるのか何度聴いてもわからない。強いて挙げれば展開が平坦で所々の打撃音が強いから?所々に機械っぽい音があるから?FM誌ではノイズだけではなく、インダストリアルも作品をけなすための常套句だったのか?良く分かりませんが。

 

 

Das Synthetische Mischgewebe - The Harvest Of Magnetism

このアルバム購入時にはスペイン人だと勝手に思い込んでいたドイツのグループDas Synthetische MischgewebeがEGのレーベルから出した傑作LP。「窓を開けると遠くに海の音が聞こえる。だが人は言う。このあたりに海など無いと。夜、私が窓を開けるとそこに見えるのは灰色の大きなビルで…」と続く裏ジャケットの文章はその中に封入された音盤の景色を良く表している。海辺の洞窟に反響する何かが軋み、擦られ、混ぜこぜにされる音。今にも切れそうな音の糸の周りを蛾や蝶のように他の音が飛び交い、それが何時の間にか静かな轟音へと変異していく。音の線は太くなり細くなり、高音を出し低音を出す。転がり、押し潰され、叩き付けられ、火花のようにはじけ、潜行、狂奔などしながらもそれらの音は海の音の幻覚が消えないのと同様に消えることがない。それらの音がようやくフェードアウトした時、灰色の大きなビルの個室で一人金属缶をゴリゴリと壁に擦り付けている自分に気付く。今までの幻聴とその金属缶の生み出す音の向こう側には常に無人の街の静寂がそれらの音全部の構成要素の一つとして常に存在し続けている。

The Harvest Of Magnetism (Vinyl, LP, Album, Limited Edition, Numbered) アルバムカバー

 

 

Criminal Party / M.B.– Verrückt

Criminal PartyとM.B.のスプリット。世が世ならLegendaryなどとまことしやかに囁かれる一作品だったかもしれないがさにあらず。私の場合に限れば入手までの経緯は伝説的音源との邂逅でも何でもなく某専門店の片隅に暫らく(いや長らくだったかもしれない)の間放置されていたものを私が逡巡の後に引き取ったものである。まあそもそも伝説などというものの大半は後付けの、金銭的その他の、理由ででっち上げられるものであるし、元々某専門店の常連及び電子雑音内部でCPは全くと言って良いほど評価されておらず、このカセットも恐らくは何度か彼等の目に触れている筈なのだが誰一人購入しないという状態だった(ここからは想像になるがCPはバッタもんと思っていた彼等はCPの表記は一顧だにしないのは勿論のこと、M.B.の表記もそれこそ場末エロDVD屋にある饐えた様なDVDジャケットの「最終流出」とか「発禁作」とかいう扇情的文句と同じ程度の信用性しかないと考えていたのかも知れない)。そんな中、事情に詳しくなくひたすらオナニーものを探し続けていた私が騙されてこれを速攻で買った、という訳でもなく矢張り3800円という如何にも怪しい値付けに逡巡しつつも、「まあCPだから」とどこかで踏ん切りを付けて買ったというか仕方なく引き取ったというのが真相である。「伝説」になるには余りにしょうもない「事実」であるが作品内容は、私の感覚では、悪くない。まるでMBの様なCPサイドの一曲目とMBのraw materialとCPのvoiceがコラボしているかのように作り上げた不健康な二曲目。そして如何にも後期M.B.の様なM.B.サイドだがCPがでっち上げたようにも聞こえるB面。どちらもフールズメイト基準でいえば「自己陶酔的垂れ流しオナニー」であり、十分にオナニー鑑賞の対象となるブツである。さて問題となるのはこの音源は果たしてM.B.本人なのかという所だが当初私が伝え聞く限りでは「本人でない可能性が高い」、若しくは「本人に記憶がない」という事であったが矢張り偽物ということで決着したようだ(さらに後日情報があるかも知れないが不明。そもそもリリース年の1987年、M.B.は活動停止中)。正にでっち上げられた「伝説」の真相に良くある話。何時の世も人は夢見がちで浅ましい。他にもCPはMuslimgauze,Ramleh.G.Tounitti等をV.A.に収録しているがそれが本人なのか、または本人の音源を勝手に収録しているのかは不明。

Verrücktアルバムカバー

V.A.-NG

ZEITLICH VERGELTER-SCHLAGEN/DIMENSION

 

TRANS RECORDSが奇妙な音楽への入り口だったという人も多いのではないか。私もその一人で音源を買うという行為を始めた一、二年にはもうYBO2を聴き始めていたから本来であれば(そもそも「本来」とは何ぞやとも思うが)段階を踏みながらそこへ至るという道程をすっ飛ばしてしまっており、それはそれで得られなかったものもそれなりにあったのではないかと思う時もある。ただそこへ至ることが出来なかったという事より、それは遙かに良い事ではあった。ZEITLICH VERGERTERはTRANS RECORDSのその奇妙なバンド群の中でも異彩を放っており、総統演説がその楽曲から聞こえてくることもあり私の関心を強く引いた。最初に聴いたV.A.-NGに所収のThe Third System Of Transitは間を置いたベース音、硬く構築されたギターとドラム、切り裂き、なだれ込んでくるメタパーに低音を主とする素晴らしいヴォーカルワークが絡む名曲で若輩者の私は手もなく捻られたという感じだった(NG自体も同時期の日本インディーズの多様性と豊饒さを示す名盤であると思う)。この人達はフルレングスを出していないのかと思ったが残念ながらそれは存在せず、7epが一枚あるのみと知る。そのEP所収のSchlagenとDimensionは共に近未来感の漂う佳曲。淡々としたバックにヴォーカルが絡みつき最終面でそれが揺れるSchlagenとMaria Zerfallが作りそうな鬱ドローン音が印象的でポップなDimension。後年、私はノイバウテンを聴くことになるがZeitlich Vergelterがノイバウテンに似ていると思ったことは一度もなかった。


 

 

Der Blaue Reiter - United,Yet Divided

Der Blaue Reiterはカタロニア出身の男女二人組として2005年1月に結成。その後、女性が抜け現在はSathorys Elenorthと元Arcana(CMIからのリリースもあるスウェーデンのネオクラシカルバンド)のCecilia Bjärgöの二人組となった。またこの作品ではCeciliaのパートナーであるArcanaのPeter Bjärgöがマスタリングを行っている。今までも第一次大戦、スペイン内戦、チェルノブイリなどを題材としてメランコリックなネオクラシカル作品をリリースしてきた彼らが2019年にリリースしたこの作品で取り上げたのは冷戦~現今のヨーロッパの"United, Yet Divided"な現在。LPとCDで一部内容が異なるが題材として取り上げられたのは東西ベルリン、ハンガリー動乱、プラハの春など冷戦を象徴する悲劇。CD版の終盤はベルリンの壁崩壊とその後も続く(東西ドイツ/ヨーロッパの)分断を映し出し、最終曲でこのアルバムのプロローグから連なる楽曲群とその主題、アルバムタイトルを締めくくるのに相応しい最終章を描き出す。過去作にあったような大仰なオーケストレーションが後退したもののドラマチックな構成は全く失われていないし、主題から考えても当作品にあるような現代的な音色の方が相応しいように思う。第二次大戦終末期から冷戦時代を振り返りつつ深夜にどっぷりとその音世界にはまりたい。

 

Terroreactor ‎– Befehl Fur Den Sieg
司会のアナウンス後に始まる「勝利への命令」と題された総統演説と色彩の全く欠けた地鳴りのような雑音。以降演説者と聴衆は強弱をつけた巧みな演説とそれに答える熱狂的な歓声とで交感するがそのバックに流れる雑音はそれと交わることなく無機質、無感動に流れていく。それは「君達は総力戦を望むのか!」というアジテーターの問い掛けとそれに対する全面的肯定という歴史的場面を通り越しても変わることが無い。その一瞬のやり取りが終わるとあの時代に散々聞かされた無暗に勇壮で前向きな曲が流れてくる。まだその後ろに流れる原因が分からない頭痛の様な雑音は鳴りやまない。また誰かが話し始める。曲名からすると治安、防諜を指揮したあの人だろうか。作品の最終面。男性歌手が情感を込めて歌う。曲名は「夏の夜」というのだろうか。その曲が終わる少し前に漸く疼痛の様な雑音が鳴りやむ。現代に意識が戻ったところで改めて振り返ってみるとこの雑音群の中に人を高揚させる瞬間は一瞬たりともなかった。無感動、無機質な雑音群が垂れ流されるだけの正に「ナチの亡霊」の様な一作品だった。
やや位相は異なるがStrumbann-Lebensraum Maidanekも歴史の亡霊という面から見ると似た感じの表現をしたように思える佳作であった。
https://ameblo.jp/teitoy/entry-12472788200.html

巫女舞いろ:地霊湧き起つ岸辺に立ちて
一度だけこの方達の住まいにお伺いしたことがある。おいしい手料理を頂いたり、整ったお家の様子に心打たれたりと「俗世と縁を断つ」とはこういう事かと己の甘さをしみじみ、まざまざと思い知った。その訪いの際に購入させて頂いたのがこの作品である。
笛の音から始まり、それに和太鼓が和していく。磐笛は高くなり低くなり和太鼓は緩急をつけ十分ほど演奏が続く。織茂しづ子さんは笛を神楽鈴に持ち替え音を響かせた後に落ち着いた声で語りを始める。地を鎮め己れを鎮め己の心持を地霊達へ訴えかける。そしてその地霊の持つ力を思い起こさせ、その力を示せと語りかける。その声は流れるような音の連なりとなったり心からの訴えになったりしながら続いていく。再びなり始めた笛と和太鼓の音は時に乱舞し、時に平らかになる。そして和太鼓の音は止み、静かな笛の音で演奏は終了する。
お伺いした際にも彼らの演奏を間近で聴くことができた。演奏終了後に織茂敏夫さんは「何か音楽でもかけましょうか」と仰られたが私達全てが反対した。それ程までに音を聴くことに満腹し、またその演奏で作り上げられた清浄な空間をその他の音を流すことで崩したくないと願ったのだ。混沌の首もそうだがこういう商業化されていない呪術を見聞きするとと如何に私が(またメディアが)安易に「シャーマニック」という言葉を乱発しているかを思い知らされる。

 


 

SS1488-The Jew Hammer

レコードのジャケットをしみじみ眺めるなんて何年振りだろうか。私がかつて電子雑音で紹介したNSBMのコンピレーションthe night and the fog(1999年。Dungeons Of Darkness)。その中で明らかにブラックメタルとは位相の異なる音楽をやっていたのが作品の最後を飾るPERUNWITと作品の始まりを告げるこのS.S.1488であった。その頃(今も大して変わらないが)私は全く無知で「1488って何?88は88mm砲?1488年に何かあったっけ?」等と壮大な勘違いをしていたのだがシンセと総統演説というミニマルかつ「メタル」では全く無い曲調がアンチPC過ぎる曲名でNSBMのコンピに収録されている事に何とも言えない衝撃を受けた。こういう場合に私が常に思うのは「さてこいつは一体全体何者なのか」という事である。以降の作品が順調にリリースされればインタビューすら試みたかも知れない。しかし、Dungeons of DarknessからUNIT731-007としてリリース予定であった7インチTHE JEW HAMMERはレーベルオーナーの急逝によりお蔵入りとなった。と思っていた。だがそれから約20年を経てそれはIG Farben Produktionよりリリースされたのである。一口に20年というが長い期間である。赤ん坊が成人になる年月であり、1999年を起点とすれば予定が実行されるまでに世紀を超えている。911もまだ起こっておらずヨーロッパの情勢も随分変わった。それら多くの変動にも拘らず、若しくは変動があったからこそ、この作品をリリースすべきという志は脈々と人から人へと受け継がれ遂に昨年、日の目を見たのであろう。思想の如何は問わない。この凄まじい執念と断固たる決意に敬服する。A面は上記コンピ収録曲にヒトラー(?)の党内での談話めいた穏やかな話声を付け加えたもの、B面はBMの大傑作BURZUMのFilosofemに収録されている大名曲Jesus' Todのカバーでオーケストレーションとヒトラー演説の融合。荒涼としたジャケットの裏を返すと赤文字で英文が書かれている。行間までをも読み、自分が知る限りの事と照会して自分なりの答えがある地点に到達する。そこは並みのNSBMバンドが決して辿り着くことのない(思想的)極北である。限定288枚。NSBMの究極というかその果てまで手を伸ばすか否かはその人次第。久しぶりに音楽を聴いて鳥肌が立った。
 

GRIM-TOKYO HALLUCINATION

GRIMのライブを見ていると「盆踊り」という言葉が浮かんでくることがある。彼等のステージングからしてみれば余りにも長閑な言葉であるが集団が単純な感情に身を任せ「踊る」(騒ぐ)という所がGRIMのライブを思わせるのである。幾度かノイズ以外のミュージシャンが「音楽のせいにして騒げばいい」と言っているのを見聞きしているがノイズの世界でそれを、意識的に、実行しているバンドの一つがGRIMであると思う。これは最近発行されたOECからの一作。本人がどこからともなく浮かんでくると言った闇雲で天から降ってきたようなヴォーカリゼーションから一転、地下の海へと音は潜り、狂騒のリズムとヴォイスが交錯し、車のラジオからすらその狂気は発信され人々がそれに染まって行く。そこを通り過ぎた後に見る穏やかなヴィジョンは段々と彼等を何処かの深みへと引きずり込んでいく。タイトルは「東京幻覚」。通り過ぎた全ては集団幻覚であったのか。その幻覚の中を漂う様な最終トラックは「桃源郷」と題される。行く事は難しいが何らかの拍子に訪れることが出来るとされる場所。

V.A-Natural Order

私が一番影響を受けたレコード。1997年リリース。私は1990年頃からもっぱらノイズとその周辺の音楽を聴き続けていたが聴くのはもっぱらハーシュノイズ周辺。TGは未聴、SPKはMERZBOWで鍛えた耳には余りに優しくまた、私からすれば、時代の垢にまみれていた。ブートで聴いたWHITEHOUSE,RAMLEHは厨二病、MBはフェティシストと勝手にラベリングし、GENOCIDE ORGAN,CON-DOM,THE GREYWOLVESも聴いてはいたが真剣に相対する必要を認めなかった。要するに厨二病とまでは言わぬまでもまあ彼等を舐めてかかっていたのだ。その私の舐めた態度を改めなければならないと思わされたのがこのレコードなのである。国家芸術というレーベル名、自然法というタイトル。封入された紙片に書いてあることもいちいち物騒でアートワークもそれに相応しい体裁をとっている。それらを見ながら「こいつは本気なんだな」と考えた。しかも現在進行形。今まで私が舐めた態度でいたのは彼等が本気でそれをやっているのではないと思っていたからだった。どんな過激な外見をしたところで一皮むけばたちまち腰砕けとなり、「まああれは要するにショックバリューですよ」(実際にこう作品中に記したバンドがある)と言うに決まっていると決めつけていた。しかしここに集った連中はこちらが真剣に話しかければ真剣に答えてくれるような真摯さ、自分の発言に確信を持つ者の凄みがあった。革命、社会改革とはいかぬまでも何かを告発し、それに対する立場を明確に掲げていた。だからこそ私も真剣に彼と向き合わねばならないと考えたのだ。この他、FREAK ANIMAL,TAINTなどの影響も加わり私の嗜好は変化し、国家芸術社ともコンタクトを取りいささかのやり取りがあり、国家芸術社自身も時代の嵐にもまれることとなるのだがそれは又後日としたい。