V.A./Ohrenschmalz
今ではまずありえないラインナップだがノイズという音楽ジャンルがまだ未分化であった頃はこの様なコンピレーションアルバムが惨殺された娼婦の死体写真を麗々しく表紙とした上でリリースされていた。
レーベルオーナーによるものと思われる陰鬱なイントロから、流麗な音の流れで暗黒美を現出させるHuman Flesh、荒涼とした大量殺戮の場を活写するかのようなMental Destruction、コンピューター時代に生まれた都会の呪術師Sigillum S、一方は女預言者を連れ歩く放浪者Mental Measuretech、完全に暗黒と一体化しているNightmare Lodge、カタコンベを彷徨するかのようなBrighter Death Now、十分に均された下地の上で三味線→語り→絶叫をかますMasonna(全く違和感なし)までがA面。
ロマンティックな前奏からハーシュノイズになだれ込むControlled Bleeding、不吉な何かが上空を旋回し続けるPhallus Dei、段階を踏みながらじわりじわりと己のフィールドを作り上げていくMerzbow、死者が延々とスピーチを行っているようなGenocide OrganがB面を締める。
昔はノイズとほぼ一括りに呼ばれていたものの分化が激しい。これは分かりにくさをそのままにして置けない「大衆」の妄動なのか、プレイヤー側からの態度表明なのか。議論好きの方々には一家言あるだろうが、かつてあった豊かな土壌が消えてしまった(代わりに別の場所が豊饒になったとしても)ことは確かと思う。
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SUTCLIFFE JUGEND - WE SPIT ON THEIR GRAVES
WHITEHOUSEと共に英国パワーエレクトロニクス、ノイズの古株だが、WHと比べ言及されることは遙かに少ない。その理由は常識的に考えればその作品の少なさや入手困難さにあるのだろうが、ここは邪悪な推量を働かせ、その理由を「SJには付け入るスキがないから」だと言いたい。WHにある僅かながらのエンターテイメント性や余裕を感じとった上で過去に何度となく日本語の商業ベース文献に紹介されている事を知ればWHは「まあ付き合っても大丈夫だろう。変な音楽を聴いているという箔も付くし関わっても殺されもしない」というぐらいの位置には落ち着く。一方、全く余裕やユーモア精神が無く人を殺すor犯すとしか考えていないようなSJ。商業的メディアに取り上げられたことも日本では恐らくないだろう。また運良くインタビューを見つけたとしても、「あなたの音楽を何と表現しますか?」という問いに「Ultra-violent」と凄まじ過ぎる回答を投げつける様が見られるだけ。これでは所謂サブカル好きには手が出まいし、手を出す必要もない。その反面、本当のノイズ好きや心底人間が嫌いな人からは熱い視線を送られているように思える。
彼の父親であるPeter Sutcliffeは所有するトラックに「この男が力を解き放てばあらゆる者を凌駕し世を揺るがすだろう。さて彼にその力を解き放たせるか否か」と言う様な事を書き記していたと読んだ記憶があるが、正に彼の音楽はそういうものだ。叫び声や怒声は己にも制御できない過剰な性欲、殺意、憎悪、怒りの為に常に裏返り、エレクトロニクスは制御よりも暴走を旨とする。時折、それが制御されているように聞えてもそれは「芸術」ではなく「オナニー(マスターベーションでは無い)」。虚飾など固より存在しない。ただひたすらの暴力。「美しいものとは?」と聞かれ、「The victim」と答える人間が作る音楽。ジャケットはCDで出ているコンパイル版だが諸事情で頓挫しているフルセットとしての再発をひたすらに待ちたい。狂気の暴力が蔓延する今の時代でも単なる回顧ではなく十分に現実として屹立する作品となることだろう。
(補足1.先のインタビューに話を戻すと「あなたの影響を受けたもの」で彼はヒムラーの名を挙げている。恐らくWHがナチ人脈を挙げたならヒトラーかゲッベルスと答えた気がする。私が感じる両者の違いはこの辺りに存する)。
(補足2.影響を受けたものとしてWHの名を挙げるバンドがままあるがそのうちの何人かは実際はSJと言いたかったのだが、「どうせ言っても分かんねえだろう」とか「めんどくせえから知られてる方の名を挙げとこう」という理由でWHを挙げたのでないかと思う)
(補足3.多くのインダストリアル、ノイズの再発盤があるがその中に現実との対比で古臭さを感じさせず、むしろ今を感じさせるものがあるのが凄い)
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夏至と言えばSonnenwende。未だフルアルバムのないErnteの佳曲。
BODY CARGO / POGROM - resistance
リトアニアのデスインダストリアルプロジェクト二者によるスプリット作。BODY CARGO、POGROMといったストレートすぎる名称に相応しい荒涼とした音世界が広がっている。BODY CARGOは恐らくはPCメインで創作されたノイズや時として何の余韻もなくプツリと途切れてしまう曲自体がその世界観に更なる非人間性を付与することに成功している。中盤である3曲目にしてはっきりとヴォイスが聞き取れるがそれはインダストリアル勢が多用する演説的、扇動的なそれではなく、流れているリズムに沿って突発的に発生する病的、白痴的な狂騒的一人騒ぎである。そして何事もなかったかのようにまた非人間的音塊はふつりと途切れたり、曖昧模糊とした煙のように虚空へ消えたりを繰り返す。変わってPOGROMではインダストリアル勢らしい演説的、扇動的なヴォイスが多用される。はっきりとした旋律や民謡らしき朴訥な歌声までも聞こえてくる。ここには、前者の演奏時には存在しなかった、紛れもない人間とその生活がある。何故かと言えば、それは一方が演説、扇動、そして行為者とその対象としての人間を必要とする”POGROM”であるからであり、片方がそれを必要としない”BODY”だからであろう。更に言えば”BODY”だからこそ明瞭な意思表示は不要かつ不可能であり、一方でその最中であるからこそ”POGROM”でのヴォイスは様々な騒音に埋もれはっきりと聞き取ることができないのであろう。そこまで妄想し、改めて彼らにとって”resistance"とは何かと考え、生者と死者が隣り合うような、若しくは正規軍が非合法活動を行う様を描いたようなジャケットを眺めるととここに提示された世界観と悪意に寒気を感じてしまう。
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CON-DOM / HOW WELCOME IS DEATH TO I WHO HAVE NOTHING MORE TO DO BUT DIE
80年代中期頃より支配ー被支配をテーマに作品を作り続けている英国のパワーエレクトロニクス。自らの母を看取る過程を2枚組LP(D面はエッチングのみ。CD版もあり)という大作に仕上げた。大判のブックレットの表紙を死んだ母の顔とし、「死ぬこと以外に何もすることのない私にとって死は何と待ち望んだものであるか」と書き付ける彼の芸術家魂にまず感銘を受ける(LP版ではプリントアウトした死者の顔写真まで封入されている)。今まで人種、宗教等に腹蔵なく発言してきた彼は身内の最後の瞬間に対しても表現者として非妥協的であったのだ。例えその最後までの道程が長いとわかっていても、否、長いからこそそれに表現者として向き合い、着想を得て、その上で最後まで伴走出来るか。それは想像しただけでも気の遠くなるような大業であり、そこから脱落した表現者もいたのではないか。しかし彼は彼女自身の声、叫び、うわ言、そして発した苦し気な音らしきものまでをちりばめて実母の老いていく過程、意識の混濁、死と尊厳、安楽死、そして最終的に訪れる死そのものを自らが作り出したノイズと共に描き切った。そのノイズはどこへも行き場のない怒り、不安、暴力の集合体の様で、所謂「パワーエレクトロニクス」の単純なカタルシスからは遙かに離れた所にある。全ての暴力的音楽がファンタジーから生じたものとは言わないまでもリアルな「死」や「死と生のあわい」をここまで冷静な観察眼を持って提示されるとそこには前者が恐らくは生み出すことの出来ない厳粛さが漂ってくる。LPのD面にはCon-Domのシンボルマークがエッチングされ、注釈に「control and domination are etched on the face of humanity just as surely as the creases in an old woman's skin」とある。この徹頭徹尾「表現者」である様がすさまじい。作り上げたMike Dandoに心からの敬意を表したい。
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DISCORDANCE - TOY BOX
「そう。DiscordanceはWhitehouseのクローンだよ」と自らブックレットに記してあるこの作品。己のレーベルであるLess Than Zeroから出したテープ2本をCD化してSlaughter Productionsから再発されていた。Whitehouseは彼にとって「トレンドや金に全く目もくれず、ハードなアルバムを出し続けているGrind/MetalシーンにおけるNapalm Deathの様な存在」であるとのこと。文章は以降も随分とフランクに進み「このカセットの最初の何枚かには本当の血を塗ってたんだよね。もっと言っちゃうと俺がヴォーカルを録音してた時に母ちゃんが料理してた豚の血なんだけどね」とか「Fuckhole(曲名)のヴォーカルがあんまり良くないと思っても責めないでね。他の部分を録音した後で喉が痛くてさ~」とか「(自作について)卑見ではあるけどさこれはマジでかっこいいと思うんだけど」とか「あんたに楽しんでもらう様にリマスターしたよ」などと可愛いことを書いて、最後は「Enjoy!」で締める。ジャケもご覧の通り可愛い。凡そパワーエレクトロニクスらしくないスタイルであるが肩肘を張って虚勢を張らない姿勢がとても好ましい(却ってこういう人の方が信頼できる)。内容は期待を裏切らない。前半ののたうつ様なノイズ、病人じみたヴォイス(喉の痛みを堪えて喚いたFuckholeのヴォイスも不健康で申し分ない)。後半(こちらの方がWhitehouseっぽい)の密度と強度が前半とは違うベクトルへ進みつつあるノイズの非道さ。喉の痛みとは無縁の全開状態になった生々しく全く虚飾のないヴォーカルも素晴らしい。「Whitehouseのクローン」であるのかも知れないが、ユーモアと紛れもない彼自身の個性に溢れる「良いヤツ」として常に私の中で特定の位置を占めているイタリアンである。
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CORE-Chants Of Race & Emptiness/An Area's Era Aria/My Core
ドイツのCranioclastの別動プロジェクトと言った位置づけだったのだろうかアルバム二枚とシングル一枚を残して消えた廃墟系インダストリアル。ファースト作は美しいジャケットに惹かれての購入であったが内容もまた素晴らしい。冷酷なインダストリアル風ドローンにその残響音を美しく響かせる様々な金属音が絡まる冒頭から結びまで金属素材の出した自然な音、人為的な音、システマティックな音を盤上に置き、それらで荘厳かつ玄妙な音世界を作り上げている。所々に小さく聞こえてくる人の話し声や詠唱めいた唸りもまた良い。一部にフィールドレコーディングを使用し、リズムが核として存在しているにも拘らず全体の不明瞭さが増し、茫漠とした無音地帯を彷徨うような(当然そこでは何やらの金属音が常に鳴り響いているのだが)セカンド作、リスナーに対し音響洗脳を行おうとするかのような「Henry」と時に大言壮語を吐く狂った機械と対面させられているかの様な「Clarisse」の2曲からなる7インチも含め都会の廃墟や暗渠などの暗がりに惹かれる向きであれば聴いて損は無い作品と思う。
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古北欧語で「To become」、「In the making」 、「That which is happening:becoming」と意味深く訳されるエッダに書かれた存在の名を冠したアメリカのネオフォークバンド。そのヴォーカリストであるALICE KARLSDÓTTIRは長く北欧神話などを研究し著作もあるようだ。アメリカも都会を離れ、田舎へ行けばほとんど人種の混淆は無いと書かれた記事を読んだことがある。また極端な例だとアーミッシュの人達の存在もあり、恐らくは私の持つアメリカ=大都市のイメージは一面的なものなのであろう。この作品はそんな「アメリカ」の一面が色濃く反映されている。収められた楽曲はトラディショナル曲を除くと作曲された時代が1979年から2003年と幅広い(リリースは2006年)。一聴して、例えばドイツのネオフォークと比べ、すぐに気付くのは奥底にあるルーツミュージックの影響である。フォークやカントリーの風味が感じられる所がヨーロッパ大陸とアメリカとの文化的地理的距離を感じさせて面白い。年齢にふさわしい母性や情趣を感じさせるALICEのヴォーカルは子守歌を歌っているかのような優し気なものから、楽し気な合唱風のものまで変化に富み、どれも素晴らしい。今は「一時的に」離れてしまっている(=いつに日にか帰り着くことのできる)場所や時代に寄せる思いを丹念に織りあげた佳作。このCDに収められた10曲は「未だに故郷を思う移民達の望郷の歌」として聴くべきなのかも知れない。私に北欧神話などの知識があればより一層楽しめたろう。
Annabel LeeやIan Readなどが一部参加。
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個人的な意見だがドイツからリリースされる良質なインダストリアル系アーティストの発信する音は本当に冷たい。発信された瞬間には確かにあった熱が瞬時にどこかへ奪い去られてしまう程の冷気が作品全体を覆っており、その結果として荒涼とした音風景が盤上に広がることとなる。1998年に活動を終えたと思われるDagda Morのこのアルバムも正しくそんなドイツのインダストリアルバンドが生み出した作品の一つであった。虚空に消えていくヴォーカル、有刺鉄線の様なリズムが聴き手と演奏者を隔てる構成(「リズミックインダストリアル」と看板を揚げても良いようなリズムでさえ、この盤上に配置された瞬間に忌まわしく不吉で反人間的になる)、人間的な面を全く見せることなく放出される機械音のドローン、脅迫的な振動、落下音、擦過音。どこかで重苦しく荘厳な音階らしきものが奏でられたとしてもそこに聴者は存在しないし、演者もいないだろう。人の声すら人の声と思えないような非人間的音世界。最終トラックの題名は「the coming race」。当然、そのやって来る「何か」が「何」であるかは認識/認知できるはずもない。
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KARASYOUZOKU / MISCHIEVOUS SIGYN 1923
「ノイズをカセットテープでリリースする」という今流行の(と言っても良いだろう)手法を取った最初の一群の中にいた日本のレーベルLust Vesselから2008年にリリースされた一作品。ブックレットに小さく見える十二階や無政府主義者、センセーショナルな見出しや写真が混然一体となってカセットテープの中にエログロナンセンスな1923年を中心とした日々を映す白黒映画を作り出している。陰鬱に響く鐘の音、華麗に花咲いた大衆文化の裏にあったであろう時代の移り変わる無暗なスピード、焦燥感と不安。その中で人々は都市風に白痴化していく。目くらの暴力は称賛される。ぎしぎしと軋む娼家の中に流れるクラッシック音楽と異変を告げるかのような鳥の鳴き声。それらが永遠に続くかのような錯覚に陥る中、ふつりと世界から音が消える。大正時代を想起させる単語が次々と頭に浮かんでくるような音景色が作品中に充満している佳品である。
PS.数年前にレーベルオーナー氏より次回作がある旨を伺った気がするが以降、殆ど音沙汰がない。リリースを量産できるタイプとは思わないが、何時の日にか新作が出ることを期待している。
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