中央弘前駅、昭58(1983).4.1. | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

いつもがさつですいませんねー。

これの駅の写真は、これ1枚きりなんですよ。

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キャノンオートボーイ(ダサ!)で撮影

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今の駅舎・・・歩王様の「まったり駅探訪<中央弘前駅>」

https://ameblo.jp/aru-king/entry-12420187564.html
くらべると

*「大鰐線/弘南鉄道」の表示が軒下に移動、この写真であった看板のあとは白く抜けています。

軒下は、日陰でこれはこれで見づらい

 大鰐線 中央弘前   と一直線にしてはって?いったらおこられますね?

*かべ看板の色が褪色気味

*右側のレイアウトがすこしかわりましたか?

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まー。こんな言葉ばかり書いていますとおこられますので、2点ほど・・・

①どーして、弘前側のターミナルがこのような中途半端(またおこられそー)な位置取りになって

しまったか?・・・もともと昭和23年に「五能線・板柳35.8km」の免許を取得したのが先でこの鉄道は

準備に入り、1年後に免許を得た<弘前ー大鰐間>を先に起工、運転も始まります。

ところが、国鉄、平行バスとの競争に思わぬ苦戦を強いられ、はじめの免許は手放さざるを

得なくなりました。

***<「板柳」はこんなところ

特に縮尺はお示しいたしませんが、「五能線・板柳ー林崎間」の

営業キロは2.8kmです

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「板柳」

江戸期は弘前藩代官所が置かれ、付近の政治的拠点に、

明治期はリンゴがもたらされ、その出荷で大いに

にぎわったといいます。

弘前電鉄⇒現・弘南電鉄・大鰐線はその商業科緒に目を付けたと

いわれています

計画では途中で、国鉄・弘前によってから板柳にむかいます。

五能線を川部を通らずショートカットして貨客を弘前に誘導する

目論見もあったようです。

なお板柳の人口は現在12000人ほどです。

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②快速列車について

 運転開始 昭和56(1981).10.1

  運転終了 平成18(2006).11.1

 

  <快速列車>

    沿線学校の休校日を除く平日朝には運転されていました。当初の停車駅は

  上り・下りともに「中央弘前 - 西弘前 - 千年 - 津軽大沢 - 石川 - 大鰐」で、

  後、方面別に停車駅が変更されました。

   2006年10月31日の快速停車駅(調べえた限りでは最終停車駅です)
下り - 大鰐→石川→津軽大沢→千年→西弘前(現、弘前学院大前)→中央弘前
上り - 中央弘前→西弘前→城南→千年→津軽大沢→義塾高校前→石川→大鰐
 
<参考>日本鉄道旅行地図帳⓶東北 今尾恵介氏 監修 新潮社 平成20年
      鉄道ピクトリアル 東北地方のローカル私鉄 1987-臨時増刊3 No.477

 

中央弘前駅、昭58(1983).4.1.


 了

 

ガサツなお話にお付き合いいただきありがとう存じました

 

 カラスのクンセイ 拝