京都にいます:2日目2/2,2018.10.15,寺社巡り(1)-2PM編 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

今回は

●10月15日、京都二日目の午後編です。といっても

 

 午前

  ①三十三間堂

  ②清水寺

 午後

   銀閣寺「東山慈照寺」

 

前回、午前中のお話をさせていただいたので、今回は「銀閣」のみであります。

周知のごとく、「銀閣寺」は室町幕府八代将軍・足利義政公の造営で、1482年の完成。

祖父、三代将軍義満公建立の金閣(10/16に参りました。一本!はいはい・・・)に倣い

東山文化を開花させたことになっていますが、

建築物や庭園の造りに、かなり趣の違いを感じました。

ただ、後世手のくわえられた部分も多く評価は難しいとは思います、

国宝、重文文化財多数。世界遺産

 

山門から本堂にかけての道幅が、銀閣は金閣の半分ほど

・山門をくぐると「桝形虎口」にもにた90度の曲がり角があります。曲がり角からお堂までは

本によっては「美しく剪定された草木」と書かれてありますが、通路側からは外側は見えません

見ようによっては、竹矢来、あるいは銃眼にも見えます。

 (私は以上の2点だけで充分圧迫感ともうしますか、一種凄みを感じました)。

・庭園周囲のお散歩コースもup-downがきついようです。

***<図ー1>参道の違い、左:金閣、右:銀閣

◆金閣:参道広く直進

◆銀閣:参道は金閣の約半分。入ってすぐ右折。桝形虎口に似ていると思いませんか?

右折した後は、常緑樹の灌木が両側に植えられていて、垣根の中は全く見えません

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1467-77年に起こった応仁の乱の影がさしているといったら大げさでしょうか?

室町幕府はこの後しぶとく100年ほど命脈を保ちますが、もし、この、銀閣が

砦・出城のようなー戦備えに使うべく建てられていたとしたら、その時すでに

室町幕府の運命は決まっていたのかもしれません

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京都御所まで3.1km/公差30.9m⇒9.9パーミル、二条城まで5.6km/同35.8m⇒6.4パーミル

馬の速歩:220/min, 340m/min。各々御所まで14分、9分。二条城まで25.5分、16.5分

銀閣を五百騎で攻められ、守兵は200(1:3で均衡)としますと、援軍の来援までぎりぎり

持ちこたえられましょうか?

しかし、1542?43?年(鉄砲伝来のころ、将軍は12代義晴公)以後は明らかに守勢だったと

思われます(実際短期間ですが義晴公は銀閣の裏山に築城していた時期がありました)。

***<scan-4、銀閣寺拝観券>

 

御朱印状を模した拝観券:22.5X8.7mmですが、

25.2x8.7mmと同じ御朱印状型拝観券の金閣はやや大型で、

かなり大きく見え、「俺が京都の主役」を気取っているようでおもしろいです

 

***<scan5 「雪の観音堂(銀閣)、国宝」パンフレットの一部③

1月の気候は、かつての「京の底冷え」ほどにはいたらず、

駅・市役所付近で1月平均気温が4.6℃です。

しかし、東や、北へ行くほど盆地気候で、寒暖の差が激しく

2015年の一晩で22vmの積雪、また年平均猛暑日は17.4回と、

日本の県庁所在地ではトップです。

 

銀閣・金閣双方「雪」をモチーフにした写真、絵画をよく見かけます。

特に銀閣は多いように思います。

金閣に比べ、本堂と雪景色のコントラストがゼツミョーな輝きを放つのでしょー

また、建物の窓は「花頭窓かとうまど」というのだそうです

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<scan7 「襖絵ふすまえ」 パンフレットの一部④>

本堂にある、本邦・最高峰「池大雅師」、与謝蕪村の方丈襖絵

 

富岡鉄斎の書院襖絵などが有名です。

 

充分回り切れていない、書ききれていない・・・の銀閣でしたが、

多少でも皆様の暇つぶしにでもなれば幸いで会います。

 

最後までお付き合いくださいました方、「目薬」の準備はお済でしょうか?

 

元気があれば3日目以降も書きます。

 

  カラスのクンセイ 拝