皆さん、墓参のご予定は? Ⅲ FINAL 「ヒヨク」という字アザナ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

<今まで(前半・後半)のオハナシ>

私には、鉄道のイロイロを教えてくれる「鉄さん」という人がいました。

北陸鉄道・山中線から6000形がなくなると、出かけていったのですが、そこで事件に

巻き込まれたらしく、廃人のようになっているところを発見されました。

一方、山中線沿線には「ひよく」というアザナの狭い区域があったのですが、ここを巡って

利害関係が働きます。

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平物切子の製作者は、ごく良心的な人で、<ヒヨク>には鬼籍に入った人と、生きて寂しい思いの人を引き合わせ、そろって昇天させる、といった不思議な力があることに気づき、

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平物切子、河南署1F外壁(前回再掲写真)

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こっそり引き合わせ役のようなことをやっていましたが、さすがに、人間関係に疲れを覚え、あとのことは、

二人の甥に後を託しました。

 

ところが、二人は

先の震災の死亡者と高齢血縁者を調べ、

 

「あなたも死別した配偶者またはご親族に会いにおいでになりませんか?」

  料金:委細面談  連絡先TEL:**-****-****

 

といった内容を、印刷物を使わず、こっそりクチコミで流しました。

 

それでも、その宣伝は効果絶大で、月に2-3人は訪れます。

しかし、始めてから3か月ほど経ちますと、川底から天空に連れて行ってくれる相手の人が

だんだん少なくなっていきました。

 

その場であきらめて帰ってくれる方ですと良いですが、

「約束と違う!」

といつまでも騒ぐ方たちには何らかの手を・・・たとえばこの世から消えていただくとか・・・

ここまで来て甥たちは考えます。

「伯父さんの時は、こんな不幸な人は、どんどん来なかったっていうがな?

伯父さんのやり方とどこが違うんだ??」

 

「きっと、クチコミであっても、来訪者が多くて、ひょっとして震災死亡者は、もういないのかもしれんぞ?!」

「じゃ、川原に埋めた遺体はどーすんだよ・・・」

「しばらく、宣伝をやめて、様子みっか?」

「様子見るって・・・お前・・・現実問題としてどんどん震災と無関係の人間が来てんぢゃネーか!!」

「・・・いや、少し考えがある。」

「どんな考えだよ?」

「今は言えん。」

「そんなん、あてになるのか?」

「1か月待ってくれないか。」

「よし、何か知らんが、おまえが、ひと月以内にギブアップしたら自首しようぜ・・・」

「今つかまれば、俺たちにはハラキりか、死刑しかあるまい・・・」

「ああ、わかっているサ・・・」

 

しばらくたったある日、やはり、亡くなった知り合いに会いたいと一人の初老の女性がやってきた時、

めでたく川底から、同年代の男性が出てきて二人は昇天していきました。

 

「おい、あの男、この前、俺たちが、・・・」

「しー、オレが、一か月、まってくれといたのはそこなんだ。

ここは、亡くなった人が、残った孤独な親族を集める力が宿った土地なんだ!!

実は、

おれ、一応、埋めた人の場所には、河川敷の地図に「印」を入れてるんだけど、そこには一体も

埋まっていないんだ。」

「なんだって?、まさか?」

 

「いや、そのまさかではないらしい。おれも、最初はみられて暴かれているのではないかと

心配したもんだが、そうであればどこからか、

お前たちのやっていることを見たぞ・・・とでも、オドシが入っても、良さそうだとは思わんか?」

「ああ・・」

 

「それはそれとして、おれは、もー疲れた、欲のかわつぱったばかりにな。そろそろやめないか?」

「いや、

おれも、いつやめるんか、困っていたんだ。」

 

.・・・結局、二人は自首して出てきたそうですが、次に本当にびっくりしたことには、自分達の伯父の切り子絵が、警察の外壁になっていたことを全く知らなかったようでした。

 

ガラス切子絵を作った職人さんの二人の甥の話は、上のように、ところどころ、にわかには信じがたいような

驚くべき内容のモノでした。

早速、県警から応援を呼んで付近一帯を捜索しましたが、「甥たちの人を埋めたり、掘り起こしたりした痕跡」は

jあったものの、一体の御遺体も出てきませんでした。

 

以後、<比翼>の区域はせせらぎぎを含めて地方自治体の管理・所有ということになりました。

 

今回のエピソードは

振り返ってみますと、付近の温泉に通う馬車軌道の動力が電動モーターに変わって、鶴たちの楽園で

なくなってから100年。

それから、現在までの間に、

この付近に科学では計り知れぬ、大いなる力を与えてくれた何ものかの存在があったはずですが・・・

 

やはり、何を差し置いても考えるべきは、約60年前に起きた、昭和35(1960)年「大聖寺・北加賀震災」という

<比翼>の土地を大きく揺さぶった、天変地異ではなかろうかと思われます。

 

それ以来徐々に力を発揮し始めた、といえば、震盪ゆえのナリユキか?となりますが・・・

ここで、研究熱心の切子職人との出会いで、力が大きく発揮されるようになったとでも・・・

長く成りそーだからやめます。

 

とにかく、人知及ばざる現象でありました。

 

何より、この地が、<本来の「比翼の地」でなくなって>犯罪者に利用された頃になっても、

集まってきた人たちには、常に優しく迎えて、まさに比翼の鳥にして天まで送り届けていたようです。

 

それを、切子絵の職人さん、最近では鉄さんのしれるところとなりましたが、鉄さんは、自らのデリケートさが

たたり、<偶然、人が傷つけられるところを見てしまう>というタイミングンの悪さで犯罪に巻き込まれ、

精神が攪乱され、その場から動けなくなってしまうという結果となりました。

しかし、鉄さんが殺人場面を見て動けなくなって、行方不明にでもなっていなければ、この事件は、

そう簡単に解けなかったかもしれません。

 

短いおつきあいでしたが、河南署の係官たちとお別れの瞬間がやってきました。

 

D刑事は、私に、

「どうして、鉄さんの身の上に、いいこと(北鉄6000形を見ることができた)と、犯罪がらみと思われる

凶悪なことの両方が起こったかもしれないと思ったの?」

「鉄さんという人は子供みたいヒトで、好きなことがあれば、まず、私やPさんに勇んで体験談を話します。

動けなくなったということは、人が殺された、とかそーいった重大事を見たということではないかと思いました。」

 

どんな殺人集団が隠れているかもしれないというのに、君が来た夕方

なにかひらめいた>君にノセラレテ、<ヒヨク>まででかけていったけれど、やっぱり、

チョット癖のある二人組がいて・・・

カラス君は<私とI鑑識官二人で>、後ろに誰彼いるかもしれないというのに、

あそこに突っ込ませた!!」

 

「ええ、スイマセン。」

 

「主任。長く絡みますね、結果オーライでいーぢゃありませんか!!

しかし、世の中まだまだわけのわからんことが沢山ありますね・・・

こういった経験をしますと、じぶんがやっています、鑑識検査の**式ですとか、XX反応ですとか、

だんだん、ほんまかいなって、モチベーション下がってきますよ。」

 

「いや、I 君、世の中、そーではなくて、今まで決まりきった法則原理の中に、割り切れないものが

時折ポコッと顔をだすから、我々は攪乱されるのであって、既定の事実は信じてやっていて

構わんのさ!」

 

「お!主任!!何時になくさえてますね!!!

ところであの甥たちが、手にかけた人たちはイッタイ???どこへとゆー問題は残ってしまいましたね!?」

「後はもーゆっくりやるしかないさ・・・」

                              **************:

後日、D刑事から、ふたりの甥たちは、証拠不充分(①地中から御遺体、あるいは、遺留品がまったく

出てこなかった②殺害に使用したと供述していた凶器が見つからないなど

☆犯人でしか知りえぬ事実も含まれていそうだが、ほとんどの証言に

  著しく信ぴょう性を欠くんでないかい。んで、歌川式は無罪。

という判決になりました

自治体管理となった<比翼>の地に小さい慰霊塔ができたのですが、さらにその中、

正面から見える位置に慰霊塔よりさらに小さい部屋を軽量鉄骨で組んで作り、

河南署の玄関外壁にあった切子絵をもっていかれて、飾られることになりました。

察のシンボルマークがなくなって寂しくなりました。

 

<鉄さんは>県立病院に転院、治療継続中で、少しずつ元気になりつつありと手紙が終わって・・・ない・・・

そして手紙の最後には、2ポイントくらい小さい字で、<今回のヒヨクのパワーを明確にした功績で

私が警部補から警部、I 鑑識巡査部長が警部補にこの秋昇進することが内定しました>と

小さい字でかかれてあるのが、やたら照れくさそうでほほえましい印象でした。

 

長くなりましたが、わたしの夏休みの不思議な体験談はおしまいです。

記事3回分おつきあいいただきありがとうございました。

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*河南署・・・話自体もフィクションですが、この警察署の存在も架空です。

         「河南」駅は温泉電気軌道の中では大駅でしたが、「河南」という自治体は

         <河南村、(2500人)>という小型の自治体で、昭和30(1955)年、

        ”昭和の大合併”で山中町に合併されています。

         警察署を持ちませんでした、

玄関の切子絵(#1)は、「平物ヒラモノ切子」に分類されかると思いますが、

          この分野の最大の作品群は「トロフィー」で

          他には、メダル、置時計が主な作品ですので、玄関の半分の「ヒラモノ切子」となりますと、

          そりゃーもー、チョー大型作品で、ガラス面を均一な厚さに延ばすだけでも神業であります。  

 

「大聖寺・北加賀震災(#2)」昭和35(1960)年10月17日、M6-7,死者70人、負傷者1000人以上 他・・・

          もちろん架空の災害です。ですが、モデルはあります。

           昭和5(1930)年10月17日、「大聖寺沖で発生した<大聖寺地震>」というのが該当します。

          こちらはM5.3-6.2(沖合20km、深さ17km)で、死者7、負傷8とわずかな被害に

          収まっております。

          比較的、規模が小さい割に液状化現象が起こったことに注目が集まりましたが、

          当時は、その事実確認と、取材の身に終わったようです。

          昼食時に起きたので、死傷者は火の元の廻りから出た方がほとんどでした。

        加賀地方、北加賀地方の方々へ>

          話が進みやすいように災害規模を大きくさせ、ご心配かけてしまいました。

          申し訳ありませんでした。

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<皆様への言い訳>

 

Ⅲ-後半はⅢー前半から13日、Ⅲ-FINALも後半から2日経ってやっと出来上がりました。

今回(まったコレカヨー)とお読み頂いた方、今回初めてお読みいただいた方、どちら大変読みづらかったと

思います。

実は前半が書き終わってからすぐ書き始めたのですが、トロくさくて

今迄かかっておりましたのです。もちろん、途中で、始めの構想とずれてしまったところもあると思います。

それがまたフヒツヨーに読みづらくさせている原因になってしまったと思います。

 

そんなわけですので、今回読み通してくださった方(おいでになるワケないよね)、

チラ見してくださった方までいつもの何倍と感謝申し上げる次第であります。

 

本当にありがとうございました。

 

また、本来、こんなに時期がずれずれになってしまったら、来年に載っければいいじゃんと

お考えの方もおいでになりましょー。

ですが、年寄りは、これ書いた?、まだ?を思い出すまで、また一年かかることもあるんです。

そーしますとですね、ずーーーと載せられないのです。

 

どうかその点もご容赦ください・・・

 

****omake****

8月14日 日曜日 折り紙の本を読んでいました

「へー、折り紙にも、比翼とか連鶴とかゆー折り方があるんだー。

そーいえば<伊賀の影丸にも「比翼の術」ってあったよね。

これでヨタ話作れないかなー・・・」

流派によっても言い方が異なるようです。これは

「比翼」と書いてありました。

 

ホントにおしまいです

 

 カラスのクンセイ 拝

 

 

 

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