前半のデキモノ・・・デキゴト>
私、カラスのクンセイには小学5-6年生頃から6歳ほど年長の「鉄さん」という
鉄道に関する先生がおりまして、日々楽しく過ごしておりましたが、
あるとき、「鉄さん」の許モトに
「北陸鉄道・山中線がイヨイヨ終焉を迎える」
という情報が入りました。
<北陸鉄道一の優秀車、6000形モハ6001+クハ6051>命の「鉄さん」でありましたから、
それこそ'6000'が行方不明になっては大変!!と「追っかけ」のように、現地に吹っ飛んでいきました。
<一部前回のお話?>
・・・ところが・・・
36時間ほど連絡が取れず、地元警察署員など総動員で捜索した結果、山中温泉と河南のちょうど中ほどの
名もないせせらぎで、廃人のようになって座り込んでいたところを、捜索メンバーに発見されたようです。
はじめは何を聞かれても応えることすらできず、行方不明人資料の写真と照合して本人と同定。
ただちに、脳神経外科及び関連科がそろった総合病院に搬送されました。
入院した病院での画像診断では、異常所見は一切発見されませんでした。
「鉄さん」のご両親が
<うちの子は、どこも何ともないということなんでしょうか?>
と当然問います。
担当医師は、
「残念ながら、というべきか・・・反対にまだ調べる余地があるということなのかもしれません。
ここで、慌てると、ほんとーに、本人の秘密の情報がつまった頭の扉がとじてしまいます。
なにがあったのか?というヒントを拾い上げるタイミングは、オソラク今しかありません。
結論を短絡的に考えず、慎重に、でも手早くやりましょう・・・・」
鉄さんのご両親はこの医師・・・D医師にしましょう・・・にかなりの信頼感を持ったようでした。
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しかし、河南署が、本人を発見した地点から半径100km以内では、数日にわたって、そんな精神的ショックを
うけるような出来事があったなどといった報告は、付近の住民から受けていないということでありました。
(通常の体力の青壮年で1日40-50kmの旅程をこなすといわれているとされ、2日後に発見されましたので、
移動距離は最大100kmと試算されたのだと思われました)。
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とりあえず、私はそんな予備知識をもらって、河南署の担当・・・ウチに電話をくれた・・・K警部補とでもして
おきましょう・・・をたずねたのでした。
河南署に着いてみて・・・あ、ここね・・・きれいだけどずいぶん奇抜な「玄関の飾り窓」ですネ・・・
すりガラス風?切子風?・・・とにかく芸術的です・・・
(これが後から大変意味を持つのですが、この時よく考えておけばと悔やまれました)。
**<河南署玄関構え、中央柱を挟んでドアと反対側のはめ殺しの飾りガラス窓:材質は平物江戸切子>**
作品として56年ほどたっていますが、当時の輝きはいかほども失せていません・・・
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受付で
「札幌の、カラスと申します。こちらのK刑事さんに呼ばれてきたのですが・・・」
(当時・・・札幌ー上野:13-14時間+東京ー福井:3時間45分)
「お!!カラス君だね!?遠路はるばるありがとう。
疲れたでしょう。まずは、冷たいビールでも・・・」
「主任!!」
と受付の婦警さんが一喝。
「あ、いや、その・・・冷えたお茶でも用意させますから、さっそく<鉄さん>にあってもらえないだろうか?」
「すぐにですか?刺激が強すぎませんか?」
「いや。彼はいつも不安がって、Pさん(大学で)同じ学部と一緒にいたがるから、そうしているんだ。
でももう少しで、盆も終わりだしPさんも自分の実家の墓参りに出かけたいらしい・・・」
「Pさんの御実家というと・・・?」
「秋田の方みたいだよ。さー、ついた。静かに入るなら問題なかろう。」
「ごめんください。鉄さん、Pさん、札幌のカラスです。
鉄さんがこちらで、お体悪くされたというので、見舞いに来てみました。
はいりますよ。」
と声をかけたまではよかったのですが、骨と皮だけになった、異常に憔悴しきった「鉄さん」の
姿があったのです。
「刑事さん、鉄さん食事食べているのでしょうか?」
「まったく食べてくれない、本人に入院を勧めたが絶対嫌だと・・・
そこで始めに診てもらった、脳神経外科のD先生のお知り合いの、<心療内科、D2先生>に
毎日往診、点滴をしてもらっている。
D2先生もなるべく早期の入院を本人に勧めているのだけれど・・・」
「鉄さん、わかります?」
「カラス君、わざわざ来てくれたんだね。」
「そんなことより、いったい何があったんです・・・(あ、なるほど)・・・
ね、鉄さん、
Pさんは御実家の秋田でね、
これからお盆の法要の準備があって、そろそろ帰らなくちゃならないそうですよ。
お帰り頂いてもいいですか?」
「ああ、P君、長いこといろいろ気持ちの支えになってくれてありがとう。またお礼はあとから・・・改めて、その・・・」
「そんなことはイーサ。では、僕は失礼する。少しでも早く元気になるように祈ってるよ。」
「ありがとう、ありがとう・・・」
Pさんは退室の時、私に「ありがとう、助かったよ」と小声で言って出ていきました。
「申し訳ありませんが刑事さんも・・・二人だけにさせてください。」
私は、長旅で疲れているせいもあったと思いますが、いつの間にか30分ほど寝入ったようです。
「いやこれは不覚でした。」
「相変わらずどこででも眠れる人だねー。」
「お見舞いに伺ったのに、フキンシンでした。申し訳ありません。」
「そんなこと気にしていないよ。こっちがモノを教える時もよく寝ていたからね。」
「ところで、」
「あー、わかってる、わかってる・・・でも見たことを全部話すと、あの日のことを思い出すので
全部は勘弁してくれないか・・・
君は<ヒヨク>という言葉を知っているかね?」
「土地が栄養をたくさん含んでいて、農作物が良くできる土地の表現ですか?」
「今日話せることはここまでかな?
あとはやすませてくれよ。」
というと、鉄さんは今まで親しかった人とは別人のように、私に背を向けて座りなおしたのでした。
やむなく、私は部屋から出ますと、
K刑事が、収穫は何かあったか?といった表情で私の顔を覗き込みます。
「どーです、何か教えてくれましたか?」
「さー、でも、最後に、<君はヒヨクという言葉を知っているか?>と尋ねられました。」
「え?<ヒヨク>というアザナの土地なら、村はずれにありますよ!?」
「どーゆーことですか?村はずれに肥えた土地が一面広がっている場所があるという意味ですか?」
「う~ん、何と言ったらいいのかな?まずカラス君は<ヒヨク>の意味を取り違えているネ。」
「じゃー、イッタイ・・・」
「まず、言葉の意味からだね。<ヒヨク>は<比べる翼>と書いて、河南自慢の<ツルの飛来地、繁殖地>
であったらしいのです、電車が通るまでは・・・」
「電車というと、<皆様、墓参のご予定は? Ⅲ 前半, 2016.8.16>で、出て来る、この辺の馬車軌道が
<温泉電軌>に合同合併・電化された頃のことですか?」
「そう、大正2年の頃ですからね、1913年。100年も前の話です。で、どこまでホントなのかわかりませんが、
馬車鉄道の頃は、鶴も、まだまだ客車を引く馬くらいなら気にならないらしく、どんどん来ていたらしいのですが、
電車になったとたん、年々飛来数が激減するようになったということです。
機械的モーターの音を嫌ったといわれています。」
「で、比翼との関係というのは?」
K刑事は片手でわたしの口を遮ると、
「<比翼>だけですと二羽の鳥が互いに自分たちの翼を広げる、広い意味で仲の良い
二羽を指すこともあるようですが、
<比翼の鳥>となりますと
雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、二羽が常に一体となって飛ぶという、中国の空想上の鳥で、
こちらは、「夫婦の仲のよいこと」にたとえられています。白楽天・長恨歌の主題にもなっております。
鶴の飛来地ではなくなったことを惜しんだ大正期の人たちは、その狭い一帯を、ホンの少しだけ誇らしげに
<比翼>という名の字アザナにしました。
もとより人っ子一人住まうこともできない広さの狭い土地ですが、後世に「河南の宝」として目印を残して
おきたい、そんな心境でしたのでしょう。
そして、またある人は、警察の玄関に見事な「切子絵」を寄付してくださいました。
「・・・・・・」
「どーしました?」
「これから、そこにいきたいのです!!連れて行っていただけませんか?」
「行きたいったって・・・すでに薄暮ですし・・・これからいっても得るものはほとんどないと思いますが・・・
着くまで一時間近くかかりますよ。」
「刑事さん、押しかけてきた早々わがままを申し上げてスイマセン。でも、この時間でないと、いい証拠が
取れないような気がするんです。
軽自動車の覆面パト、鑑識の方一人、暗視装置というのでしょうか?
赤外線カメラというのでしょうか?それを一台積んで出かけたいのです。
あ、望遠レンズ300-500mmとモニター付きカメラでなければ意味がありません。
それから、鑑識の方はそこそこ若い方をお願いいたします。」
「何をしに?そして<証拠>って何に対する裏付けですか?」
「鉄さんのかたきをとりに。」
「・…わかりました。わざわざ北海道から来て、アイディアを出してくださったんです。
お言葉に従います。」
「ホントーにありがとうございます。」
「一つ聞きたいのですが?」
「はい。」
「鑑識係・・・あ、きました!班長のI巡査部長、えーと、32歳・・・」
「31歳であります。」
「鑑識が若いのはどんな意味があるのですか?」
「ひょっとして超常現象が出てきた場合、中年以降の方であれば、
信じていただけないかもと思いまして?
それにしても刑事さん、一人一人メンバーの年齢をご記憶なさっておいでとは。」
「いえ、主任は、自分たちの仲人であります、ところで超常現象が見られるというのは本当でありますか?」
「ええ、9割がた。」
「どーいったことからそういう結論になったんですか?」
「自分にもよくわかりません。ただ、そーすることで、この事件すべて丸く収まるような
気がしたものですから・・・さぁ、はやくでましょー。」
・・・ぴぽ・ぴぽ・・・<比翼>に着きました。
「車、どこにつけましょう?」
「このへんにせせらぎというか小川がありますか?」
「ええ。」
「それを望遠で隠し撮りできる位置で、と言って「被写体」があまり小さくても困りますが・・・」
「ではこんな感じで?」
「いーですねー!!」
「あ、何人か来ましたね!
もう記録を始めてください・・・・」
「あ、ひとり。またひとり、川底へ向かっていく・・・体を水面下に沈めて行っていますが?・・・
入水ジュスイ自殺ですか?すぐとめなきゃ!」
と鑑識のI班長・・・
「いえ、ダイジョビなはずです、一回目は・・・」
「一回目はァ!?どっから数えて一回目なんです?」
と叫んでいると・・・
さらに・・・
「え?川底から一人二人と、透き通ったような人たちが、一人ずつ出て来ては
やってきた人と、向い合い、手を取り合って・・・体が浮き上がっていくように見える・・・」
あとは、Ī鑑識係、言葉を失い、目はくぎ付けとなりました。
あたり一面ダイアモンドダストのようなキラキラした昇華物をたくさんまき散らすと、
そのたび、本人たちの影形はどんどん薄くなって・・・ついには消えてしまって・・・
「あのお二人はおそらく<比翼の鳥>になったのです。」
「えっ????」
「でも本番はここからなんです。
「本番?」
「えー、デリケートな鉄さんの精神を狂わせてしまった事件の真相ですよ。」
「あ、また、ふたりきました。高齢者が二人。それから、中年の男性が二人ですか・・・」
とI 班長。
やはり、一人目の高齢者からせせらぎにパシャパシャと入っていく。
だが今度は先ほどと違ってふしぎなことは何も起こらない・・・
中年の片方のベルトのあたりから光るものがきらりと見えた。
カラスがチョット細工・・・ミニパトのライトをつけて・・・後は班長さんへバトンタッチ。
「<河南署だ。すでに逃げ道はすべてふさいだぞ。それ以上、罪を大きくするなら>
とかなんとかスピーカーで叫んでください。
そして、刑事さんと二人で、あの、中年をつかまえてください。ナイフか何か持っているはずです。」
「君はそこまで予想していなかったのか?」
さすがに温和なK刑事もむっと来ている様子・・・
しかし案に相違して、中年二人組は「I 鑑識官」の言葉に従いほとんど抵抗なく捕まりました。
驚いたことに、彼らは兄弟で、こんなことは、もう疲れてやめたかったというのです。
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話はチョット戻ります。
不思議現象のあったせせらぎは、元々、彼らの家系の地所でした(登記簿が残っていました)。
明治期には鶴のあそび場でもあり、魚が遡上してくるほどの川でしたが、上流にダムができ、
今は形だけの小川にやせ細ってしそこで羽を休めたり、繁殖したりする鶴もいつしかいなくなりました。
あの、河南署の玄関の切子絵(#1)は、彼らの伯父さんの作品だそうで、
しかも今回 鉄さんの精神にダメージを与えさせた?犯人を追跡中のところ、
いきなり容疑者?が登場し、それがまた、警察の飾り窓の製作者の
甥たちであるというのですから、皆、このまれに見る奇縁に運命を感じざるを得ませんでした。
トコロデ、彼らの伯父さんは、元々北陸では名の知られた切子職人さんで
さらに、上達のため、江戸切子の修業を下町で20年ほどしてきた方だそうです。
そして、「平物切子」を習得、自分の故郷で広げようと帰郷したところ、
昭和35(1960)年10月17日、
震源地:大聖寺沖合20km、深さ10km、震源の大きさ:M6-7と比較的大きな地震が発生。
人的被害は震央に近い大聖寺ー動橋イブリバシを中心に、死者70人、負傷者1000人以上を記録、
家屋倒壊3000棟、道路破損300か所以上、停電、上水道管破裂など多数ヵ所に及び、
のち「大聖寺・北加賀震災(#2)」と命名されました。
同年起こった、新潟地震とともに「液状化現象」が観察されましたが、その研究は始まったばかりの頃で
ありましたので、注目する学者先生も少なかったようです。
その災害から、伯父さんは、これからも、もっと大きい地震が来れば、この土地も、鶴の思い出も
なくなると思い、「平物切子」を広める前に、昔の思い出を残すのが先と、古写真を漁って完成させたのが
河南署の切子絵だそうです。
ところが、例のせせらぎあたりで、切子の下絵を描いている途中から、不思議なことに気が付きました。
思い出したように、高齢の男女が一人・・・二人とやってくると・・・せせらぎの中から、異性が出てきて、
手を握り合ったと思ったら、付近一面、きらきらと小型の花火が沢山降ってくるような景色が広がり、
それに包まれるように先の二人の体はだんだん透き通って、浮き上がるように見えた・・・
水中から出てきた人間は、どう考えても生きている人とは思えません。それでも不思議と恐怖感は起こらず、
伯父さんもまた「ヒヨクの鳥だ」と思ったそうです。
しかし、記憶は翌朝まで途切れてしまって・・・やはり精神的緊張は大きかったのでしょうか?・・・
気を失っていたらしいのです。
明けて、前夜見た夢のような光景のところに行ってみたのですが、男女の遺体らしきものはありませんでした。
伯父さんは、「お二人とも天に昇ったに違いない・・・」
とますます、「ヒヨクの鳥」の土地に起こった奇跡と信じるようになりました。
しかしいいことばかり起こるわけではありません。
人の口には戸が立てられないもので(死語ですね~)、その後もパラパラと集まって来る高齢者の中には、
必ずしも昇天する相手が現れるとは限らないことがわかりました。
あきらめて帰ってくれる場合はまだしも、そこで自ら命を絶つお年寄りもいて、さすがに参った伯父さんは、
「どうして、昇天する人たちと、みじめな結果に終わる尋ね人がいるのか?」考えてみました。
それから精神的に疲れていた伯父さんは、その後のこの土地の管理を、二人の甥たちに任せようと
思いつきました・・・
警察に届けたほうが良かったのではないかって?
皆さんは、こういった超常現象を昭和30年代(今から50-60年前)の警察、司法が信じてくれたと
お考えですか?
二人の甥は、伯父さんからざっと話を聞くと
せせらぎに来る人は、昭和35年の震災で生き残ったお年寄りのなかで、たまたま、
「死別した配偶者にあえる」と人づてに聞き、半信半疑ながらここまで来た人たちに違いない。
そこでは、震災の時に先に死別していた配偶者の人が迎えに来ていて、一緒に昇天することになるが、
そのときの表情は大変満足そうに見えるのではないか?と、二人の甥は自分たちの考えを伯父さんに
伝えました。
そして、これは少しあとからわかった話ですが、中には、せせらぎの様子を見に来ただけの方もいらしたようで、
後日の家宅捜索の家財道具の散らばり具合から全員が昇天?の希望者ではないことがわかりました。
伯父さんは、「さすがに、若い連中のアタマは柔らかくて小回りが利く。わしもそんな気がしてきた。
土地の所有権も渡すから、あとは二人でうまく管理してくれ。」
ここで二人はとんでもないことを考えます。
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スイマセン、おやくそくの字数制限に引っかかってしまいました。
ご容赦ください。
では、続きは、最終回へ・・・
カラスのクンセイ 拝
